文/池上信次

ジャズには多くの「格言」「名言」があり、それもミュージシャンの言葉からジャズ鑑賞のマナーまで、さまざまな範囲に及びますが、評論部門(なんてあるのか?)で有名なのが「ジャズに名曲なし」。よく見聞きしますよね? そしてこのあとに「あるのは名演のみ」と続きますが、大昔の言い伝えというわけではないのに、出典とともに紹介されることは少ないようです。多くは「ジャズにおいては曲(題材)よりも、その演奏が重要」という意味に解釈され、それは大筋では外れてはいませんが、出典に当たると、その意味合いは少し変わってくるように思います。

では、正確に紹介しましょう。この「格言」は、日本のジャズ評論の草分けである野川香文(最新の情報によれば1900〜1957年)が著書『ジャズ楽曲の解説』(1951年初版発行/千代田書房刊)で書いた一節で、本文の冒頭に出てきます。小見出しは「ジャズに名曲は無い」。それに続いて

ジャズ音楽には名曲というものは無い。けれ共、素晴らしい演奏、名演がされた場合においてだけ、それは名曲だといえる。(中略)しかし、演奏があるからには曲はある。この曲というのも名演のための一つの素材(テーマ)であって、ジャズの名曲そのものではない。この素材を如何様に演奏するかによって、名演となり拙演となるわけである。

そして、

クラシックの音楽の場合は、はっきりと名曲というべきものがある。バッハ、ベートーヴェン、モーツァルト、ブラームス等の偉大な作曲家の作品については無論の事、極く少数の曲しか残さなかった不幸な作曲家の作品にも『これは名曲だ』といえるものはある。

ベートーヴェンの第九交響曲はトスカニーニの指揮、NBCシンフォニーが演奏しても、山田和男の指揮で日響が演奏しても、演奏上の上手下手や解釈の相違はあろうが、名曲『第九』の真価は決して下らない。

ジャズの場合(中略)たとえ譜に書かれた曲でもその独奏部は決して記譜してはいない。(中略)このような演奏のし方は従来のどの音楽にもその例が無く、全くジャズ独特の行き方であるということが出来る。

と続きます(引用は旧字旧仮名を一部改め)。ここからわかるように、野川は「即興演奏」というジャズの特殊性をわかりやすくするために、こういう極論を使ったということなのです。

この本は本文が470ページもある大著ですが、主な内容は評論ではなく、その書名のとおり「楽曲の紹介」です。当時のいわゆるジャズ・スタンダード曲を、発表順に作詞者作曲者とその内容についてジャズの歴史とともに解説したもので、その数はなんと約1000曲。ここには「ジャズ名演(レコード)」の紹介はほとんどなく、ふつうに見ればポップス、映画音楽、ミュージカルなどの「スタンダード名曲」の解説集なのです。ここまで読めば、「名曲」のないジャズであっても、結局「駄曲」は誰も取り上げないので残ることはなく、聴くときは結果的に「名曲=名演」を聴いているということに気がつくと思います。

ちなみに本文の最後は、出版時点で最新の1950年度「流行曲ベスト10」でしめくくられています。そのベスト1は、ナット・キング・コールの「モナ・リサ」。これは文字通りの「名曲」かつ、キング・コールの「名演」だと思いますが、「曲」と「演奏」のどちらか一方だけではベスト1にはならなかったことでしょう。


ナット・キング・コール『ザ・ナット・キング・コール・ストーリー』(Capitol)
演奏:ナット・キング・コール(ヴォーカル)、ラルフ・カーマイケル(編曲)、ほか
発表:1961年
1951年のナンバー・ワン・ヒット「モナ・リサ」。当時はまだ「アルバム」の時代ではなく、シングル盤でのリリースでした。キング・コールは60年から61年にかけて、かつてのヒット曲を「最新フォーマット」のステレオ録音で再レコーディングし、アルバムにまとめました。

この本の序文には「世界の何処にも類のないこのような本」とあります。1951年に、1000曲超のジャズ・スタンダードを紹介した本はおそらくこれが世界初。「名曲なし」の張本人は、じつはもっとも「名曲」を知る人だったのです。

文/池上信次
フリーランス編集者・ライター。専門はジャズ。ライターとしては、電子書籍『サブスクで学ぶジャズ史』をシリーズ刊行中。(小学館スクウェア/https://shogakukan-square.jp/studio/jazz)。編集者としては『後藤雅洋著/一生モノのジャズ・ヴォーカル名盤500』(小学館新書)、『小川隆夫著/マイルス・デイヴィス大事典』(シンコーミュージック・エンタテイメント)、『後藤雅洋監修/ゼロから分かる!ジャズ入門』(世界文化社)などを手がける。また、鎌倉エフエムのジャズ番組「世界はジャズを求めてる」で、月1回パーソナリティを務めている。

 

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