文/池上信次

毎日暑い日が続きますね。今回は「夏」にちなんだタイトルのジャズ・スタンダードを紹介します。

ジャズ・スタンダードでもっとも有名な「夏」といえば、「サマータイム」です。オリジナルはデュボース・ヘイワード作詞、ジョージ・ガーシュウィン作曲による1935年初演のオペラ『ポーギーとベス』のなかの1曲です。そのオペラでは多くの楽曲が使われていますが、ダントツでこの曲が多くカヴァーされています。カヴァー楽曲のデータベース・サイト「SecondHandSongs」には、同曲の2672のカヴァー・ヴァージョンが紹介されています(2023年8月現在)。もちろんジャズ・ミュージシャンでなくても取り上げていますが、おそらく半数以上がジャズですので、屈指の人気ジャズ・スタンダードといえます。歴史的に著名なジャズ・ミュージシャンで、この曲を演奏していない人はほとんどいないくらいですので、この曲を文字通りのスタンダード(標準・基準)として聴き比べてみるのも面白いと思います(キリがないですが……)。


ハービー・ハンコック『ガーシュウィン・ワールド』(Verve)
演奏:ハービー・ハンコック(ピアノ)、ジョニ・ミッチェル(ヴォーカル)、スティーヴィー・ワンダー(ハーモニカ)、ウェイン・ショーター(ソプラノ・サックス)、アイラ・コールマン(ベース)
発表:1998年
「サマータイム」は膨大な演奏があるので、名演は挙げればキリがないのですが、これは「サマータイム」がどのジャンルでもスタンダードとなっていることを象徴するヴァージョン。ロックのジョニ、ソウルのスティーヴィーを、ハンコックはジャズの土俵でまとめました。

次は「サマー・ナイト」。1936年公開のアメリカ映画『Sing Me a Love Song』のテーマ曲です。作詞はアル・デュビン、作曲はハリー・ウォーレン。63年に発表されたマイルス・デイヴィスのアルバム『クワイエット・ナイト』(Columbia)に収録されたことがきっかけでジャズ・スタンダードとなりました。おもにインストで多くの演奏が残されていますが、チック・コリア(ピアノ)、ジョー・パス(ギター)、キース・ジャレット(ピアノ)は複数回レコーディングしているほどの名曲です。

マイルス以前は50年代半ばにシェリー・マン(ドラムス)やデイヴ・ペル(テナー・サックス)、ルイ・ベルソン(ドラムス)など、アメリカ西海岸のミュージシャンが(目立たないながらも)録音を残していましたので、その周辺では知られた曲だったのかもしれません。マイルスの演奏のピアノは、当時ロサンゼルスで活動していたヴィクター・フェルドマン。マイルスは当時新しいグループを結成しようとしていて、フェルドマンに声をかけたのでした。そのレコーディング・セッションは『クワイエット・ナイト』のほか、『セヴン・ステップス・トゥ・ヘヴン』(Columbia)に収録されていますが、そのタイトル曲をはじめ、そこではフェルドマンのオリジナルが演奏されているので、「サマー・ナイト」もおそらくフェルドマンの提案によるレパートリーでしょう。メロディにうるさいマイルスが認め、そしてマイルスのひと吹きが、「西海岸の知る人ぞ知る名曲」を「世界の人が知る名曲」に変えたのです。


キース・ジャレット『バイ・バイ・ブラックバード』(ECM)
演奏:キース・ジャレット(ピアノ)、ゲイリー・ピーコック(ベース)、ジャック・ディジョネット(ドラムス)
録音:1991年10月12日
マイルス・デイヴィス他界の2週間後に録音された追悼盤。「サマー・ナイト」はちょっと意外な選曲ですが、キースにとっては重要曲だったのでしょう。キースは96年にもこの曲の録音を残しています。

もう1曲、「エスターテ」。「エスターテ」はイタリア語で「夏」のこと。この曲はブルーノ・ブリゲッティが作詞し、作曲家でピアニストで歌手のブルーノ・マルティーノが歌った1970年のイタリアのポピュラー曲がオリジナル。めずらしい、イタリア発祥のジャズ・スタンダードです。ミシェル・ペトルチアーニ(ピアノ/82年)、グローヴァー・ワシントン・ジュニア(サックス/94年)、クリス・ボッティ(トランペット/2007年)、エリック・アレキサンダー(サックス/2022年)など多くのジャズ・ミュージシャンが時代にかかわらず取り上げ続けてきています。

この曲が広く知られるようになったのは、ボサ・ノヴァ・ヴォーカリストのジョアン・ジルベルトが77年にアルバム『アモローソ』(Warner Bros.)で歌ってから。それまではイタリア以外ではほとんど取り上げられることはありませんでした。ジョアンはそこでは完全なボサ・ノヴァ・スタイルで演奏しており、つまり原曲とは雰囲気は大きく異なっているのですが、これが(イタリアのポップス曲なのに)ボサ・ノヴァの名曲として注目され、以降多くのボサ・ノヴァ、そしてジャズ・ミュージシャンが取り上げるようになりました。ちなみにジョアンはオリジナル通りイタリア語で歌っていますが、そのせいでしょう、ヴォーカリストの母語にかかわらずイタリア語で歌われることが圧倒的に多いという、ちょっと変わった歌でもあります。


アルトゥーロ・サンドヴァル『ア・タイム・フォー・ラヴ』(Concord)
演奏:アルトゥーロ・サンドヴァル(トランペット、ヴォーカル)、ストリングス、ほか
発表:2010年
「エスターテ」ではアルトゥーロ・サンドヴァルがヴォーカルをとっています。しかもジョアンの流儀に則りイタリア語で。ストリングスをバックにしっとりと聴かせます。

ひとくちにジャズ・スタンダードといっても、その発祥や広がり方は千差万別です。と、「夏」からちょっとズレてしまいましたが、ジャズの名演は季節に関係なく、いつ聴いても、いいものはいいのです。

文/池上信次
フリーランス編集者・ライター。専門はジャズ。ライターとしては、電子書籍『サブスクで学ぶジャズ史』をシリーズ刊行中。(小学館スクウェア/https://shogakukan-square.jp/studio/jazz)。編集者としては『後藤雅洋著/一生モノのジャズ・ヴォーカル名盤500』(小学館新書)、『小川隆夫著/マイルス・デイヴィス大事典』(シンコーミュージック・エンタテイメント)、『後藤雅洋監修/ゼロから分かる!ジャズ入門』(世界文化社)などを手がける。また、鎌倉エフエムのジャズ番組「世界はジャズを求めてる」で、月1回パーソナリティを務めている。

 

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