「信長殺し」を断念した家康にがっかり
A:ちょっと残念でがっかりしたのが、家康が「信長殺し」を断念した場面です。いや断念するだけならまだしも、〈情けないが決断できん〉〈今のわしには到底なしとげられん〉って、ここまで準備をして、家臣団を同意させた段階で、そりゃないよ家康という場面でした。
I:私もそこは残念でした。「え? なんで?」と思いました。伊賀ものを京に張りつけ、十分準備していたにもかかわらず、いったい何が家康の決断を鈍らせたのでしょう。信長に代わって世を統べるだけの気概がまだなかったのか、あるいはお市の方の「兄、信長は家康さまを友だと思っています」という言葉に揺さぶられてしまったとか?
A:思いっきり振り上げた拳の降ろし方としては微妙な展開でした。もし上司がこんな体たらくだったら幻滅ですし、「もうこんな人にはついていけない」と思う部下が出てきてもおかしくありません。
I:!! 結束を誇ってきた家康家臣団から離反者が出た理由のひとつになるのですかね?
A:この家臣団の中から誰が離脱するのか、その理由をどう抗弁するのか……。ちょっと気になりますね。
そして、本能寺の変。信長討たれる!
I:さて、そして今週のメインの本能寺の変です。12歳の信長(演・三浦綺羅)と父信秀(演・藤岡弘、)のエピソードが挿入されました。回想が多用される本作ですが、第28回でも「12歳の信長」に「小平太、平八郎に殿のことを託した瀬名(演・有村架純)」などの回想が展開されました。
A:回想に加えて、例えば明智光秀の愛宕神社参拝など、場面が数日前に戻るシーンもありました。ややもするとわかりづらくなる手法を多用するのには、何か理由がありそうですね。さて、通説では連歌の会で詠んだとされる〈時は今 天が下知る 五月かな〉を光秀が口にします。この愛宕神社は現在の京都市北西の嵯峨にある愛宕山にあり、参拝するには麓から片道約2時間半かかります。気軽にお参りできる場所ではないことを明記しておきたいと思います。
I: Aさんは取材で行ったことがあるんですよね? そうした中で、覆面をした甲冑武者が信長を襲いました。いったい誰なのか? 家康なのか、だとしたら空想なのか? 「あれ? あれ?」と思いながら見ていると、森乱(演・大西利空)がやってきます。もう本能寺の変が始まっていました。あの覆面武者は明智方の武者だったのでしょうか。信長はそのまま白い小袖を血だらけにして奮戦します。
A:総じて、信長は自らの死を予感していたような流れになっていました。攻めてくるのは家康だと思い込んでいる体でした。「友・家康に攻めてほしい信長」という絵面でした。
I:明智光秀が立ちのぼる香の煙を恍惚の表情で堪能していました。演じている酒向さんが『検察側の罪人』で演じて好評を得た松倉重生を彷彿とさせる場面でした。この怪演ともいえる光秀の口から「くそだわけ」という台詞が二度飛び出しました。
A:光秀と同じ美濃(岐阜県)出身の酒向芳さんの提案で「たわけ」の美濃弁バージョンが採用されたという場面ですね。この「くそだわけ」が入ったおかげで、その後の「腐った魚を口に詰めて殺してやる」の部分がより映えたのではないでしょうか。
I:本当ですね。「くそだわけ」、確かにインパクトがありました。ちなみにドラマの中で、家康家臣団たち三河武士はよく「あほたわけ」といっていますよね。
戦国に「友」は存在しえたのか?
I:ところで、劇中12歳の若き信長は、父信秀から〈心を許すのはひとりだけにしておけ〉〈こいつになら殺されても悔いはないと思える友をひとりだけ〉とアドバイスされました。
A:戦国時代に「友」という概念があったかどうか、あったとしたらどの程度のつながりなのか、判然としません。劇中では、信長が〈友垣〉という言葉を使っていました。家康は信長の同盟者ですが、この時期に実質的に信長家臣団に組み込まれていたともいわれます。
I:ドラマでもその説が採用されていますよね。いずれにしても、信頼関係があったといえるのかもしれません。さて、次回ですが、物語は秀吉による中国大返しに進みます。
A:家康3大危機のラスト、伊賀越えもどのように描かれるのか見ものなのですが、今回は本能寺の変の回といういうことで、織田信長を偲んで献杯したいと思います。
I:はい。
A:献杯!
●編集者A:月刊『サライ』元編集者(現・書籍編集)。歴史作家・安部龍太郎氏の『日本はこうしてつくられた3 徳川家康 戦国争乱と王道政治』などを担当。『信長全史』を編集した際に、採算を無視して信長、秀吉、家康を中心に戦国関連の史跡をまとめて取材した。
●ライターI:三河生まれの文科系ライター。月刊『サライ』等で執筆。『サライ』2023年2月号 徳川家康特集の取材・執筆も担当。好きな戦国史跡は「一乗谷朝倉氏遺跡」。猫が好き。
構成/『サライ』歴史班 一乗谷かおり