はじめに-今井宗久とはどんな人物だったのか

今井宗久(いまい・そうきゅう)は、戦国時代に生きた大坂・堺の豪商であり、茶人です。大和国(現在の奈良県)本願寺の寺内町で商売を始め、大和国を出た後は、南蛮貿易で栄えていた大坂の堺で、商人としての修行を重ねました。

その後、教養を身に着けるために茶の湯を学んだ宗久は、信長と出会い、商人としての才能を買われて重宝されることに。また、千利休・津田宗及とともに信長の茶頭(さどう)を務め、「天下の三宗匠」と称されるなど、茶人としての才能も開花させました。

莫大な富を築き、信長の活躍を陰で支え続けた宗久。非常に多才で、洞察力と行動力に長けた人物であるように思えますが、実際の今井宗久はどのような人物だったのでしょうか? 史実をベースにしながら、紐解いていきましょう。

目次
はじめに―今井宗久とはどんな人物だったのか
今井宗久が生きた時代
今井宗久の足跡と主な出来事
まとめ

今井宗久が生きた時代

今井宗久は、永正17年(1520)に生まれます。大和国今井村に生まれたとされ、大和国で商売の経験を積んだ後は、会合衆が結成されるなどして栄えていた堺にて、商売を続けました。時代の流れを上手く読んだ宗久は、のちに信長や秀吉の茶頭として活躍することになるのです。

今井宗久像(土佐光吉画か)

今井宗久の足跡と主な出来事

今井宗久は、永正17年(1520)に生まれ、文禄2年(1593)に没しました。その生涯を、出来事とともに紐解いていきましょう。

堺に拠点を移す

今井宗久の出自について、詳しい史料は残されていませんが、大和国今井村の出身であると考えられています。青年時代は、大和国本願寺の寺内町にて商売をしていたとされ、その後、立身出世を志し、南蛮貿易で活気づいていた堺に拠点を移しました。

堺にて商売を始めた宗久は、商人としての教養を身に着けるべく、茶の湯の勉強も始めます。この時に、宗久の師を務めたのが、堺の豪商・武野紹鷗(たけの・じょうおう)でした。同門には、津田宗及や千利休らがおり、この二人と宗久は、のちに「天下の三宗匠」と称され、茶人として広く知られることになります。

特に、宗久は紹鷗から気に入られ、娘婿にもなっています。その後、薬種業を始め、これからは鉄砲が重宝されるようになると予測しました。天文17年(1548)、火薬の原料を独占的に買い占めたのち、河内鋳物師を集めて本格的に鉄砲の生産に取りかかります。

宗久が生産する鉄砲は非常に高性能で、戦国武将たちの注目を集めたそうです。また、茶会を通して戦国大名や豪商たちとの人脈を作り、ついに堺の会合衆(えごうしゅう、経済的先進都市で形成された自治組織)の仲間入りを果たしたのです。

秀吉の時代に描かれた大坂図屏風 
右上隅に描かれているのが、堺の町。

信長から重宝される

弘治元年(1555)、紹鷗が急逝したことで、宗久はまだ幼い紹鷗の息子・宗瓦(そうが)の後見人を務めることになりました。同時期に、天下統一を夢見る信長が上洛。宗久は、紹鷗伝来の茶器を献上するなど、積極的に信長に取り入りました。宗久は、信長が出世することを見抜いていたのかもしれません。

その後、信長は堺の豪商たちに矢銭(やせん)2万貫を要求。矢銭とは、今で言う税金のようなもので、戦費を調達するために課されました。これには、今まで特権を与えられてきた会合衆たちが大反発。信長も要求を取り下げることはなく、一触即発の空気が漂うことに。

これを仲介したのが、宗久でした。宗久は、反発する会合衆たちを必死に説得し、信長の要求を承諾させることに成功したのです。信長はこの功績を称え、宗久を五箇荘(ごかしょう、堺にあった村)の代官に任命しました。

これにより、宗久は塩合物座(しおあいものざ、塩魚や干物を扱う商人組合)の権利や、淀川通行船の関税免除などの特権を与えられ、政商として頭角を現すようになったのです。

秀吉の茶頭就任と、静かに迎えた最期

信長の庇護のもと、鉄砲の大量生産や南蛮貿易により、宗久は巨万の富を築き上げます。また、千利休や津田宗及とともに信長の茶頭を務めるなど、天下統一という信長の大きな夢を陰ながら支え続けていました。

しかし、天正10年(1582)、信長は家臣である明智光秀の謀反により、命を落としてしまいます。信長の死後、秀吉が彼の実質的な後継者となり、時代は信長から秀吉へと移っていきました。同じくして、宗久の輝かしい時代も終わりを迎えます。

宗久は秀吉の茶頭を務めることになりましたが、茶の湯の世界は次第に千利休の影響力が強くなっていきました。そして、秀吉が開催した「北野大茶会」あたりから、宗久は茶の湯の世界に顔を出さなくなり、文禄2年(1593)、74年の生涯に静かに幕を閉じたのです。

まとめ

時代の流れを読むのに長け、大出世を果たした今井宗久。信長のパトロンのような存在で、彼の支援がなければ、信長の出世は見込めなかったかもしれません。あらゆる方面で信長を支え続けたという点では、家康が重宝した豪商・茶屋四郎次郎とも共通しているのではないでしょうか。

※表記の年代と出来事には、諸説あります。

文/とよだまほ(京都メディアライン)
HP: http://kyotomedialine.com FB

引用・参考図書/
『日本大百科全書』(小学館)
『朝日日本歴史人物事典』(朝日新聞出版)
『日本人名大辞典』(講談社)

 

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