「富士遊覧」の内容と結果
天正10年(1582)4月、凱旋旅行をするべく、信長は家康が整備した街道に向かうことに。家康も信長に同行し、旅行が楽しいものになるように、各地で手厚く接待しました。その様子は、信長の伝記である『信長公記』にも記されています。
4月10日に甲府を出発した信長と家康の一行は、12日に富士山を眺め、そのほかにも白糸の滝や人穴(ひとあな、富士山の噴火によって出来た溶岩洞窟)などの名所を見物したそうです。
また、「富士の巻狩り」の旧跡を訪ね、その土地の人から話を聞いた信長と家康。「富士の巻狩り」とは、源頼朝が催したとされる、大規模な狩猟のことで、二人はそこで乗馬を楽しんだとされています。その日は、大宮の御座所に宿泊しました。家康がつくった御座所には、金銀が散りばめられていたと言います。
13日には富士川を渡り、三保の松原など、和歌にも詠まれた名所を巡りました。
この間、家康は信長の旅が快適なものになるよう、家臣たちに酒や肴の用意をさせるなど全力を尽くしました。その後、21日に信長は安土へと帰っていったと言われています。
その後
凱旋旅行を終え、意気揚々と安土へ帰った信長。家康たちの手厚いもてなしに、大変満足したそうです。そして、今度は信長が家康を安土城へと招待するのです。
まとめ
信長と家康の凱旋旅行である、「富士遊覧」。信長は家康の気遣いに感謝し、太刀と馬を贈ったそうです。「富士遊覧」を通して、信長と家康の絆はより強固なものとなったのではないでしょうか?
※表記の年代と出来事には、諸説あります。
⽂/とよだまほ(京都メディアライン)
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引用・参考サイト/
富士宮市ホームページ