来日時のエリザベス女王
(小学館写真室 日本雑誌協会代表取材  宮内庁  内閣府)

リポート/八幡和郎

英国のエリザベス女王(2世)の70年にも渡る治世を引き継いだ、チャールズ新国王(3世)の絢爛豪華な即位式が、世界VIPを集め、5月6日にロンドンのウエストミンスター寺院で行われる。

現在の王室の祖先である、ウィリアム征服王(1世)より前からの伝統と歴史的な出来事の積み重ねを引き継いだ歴史絵巻のような儀式は、大英帝国の栄光の記憶を人々によみがえらせる、またとない体験となるスペクタクルになりそうだ。

エリザベス女王の即位式(1953年)には、当時、20歳の皇太子殿下だった上皇陛下が参列されたが、今回は、秋篠宮皇嗣殿下ご夫妻が出席される。両陛下が出席されてもいいのではないかという意見もあるが、このところ、いろいろな事情から、日本から英国を訪れることが多い一方通行が続いており、バランスからいっても皇嗣殿下ご夫妻の出席が妥当だ。

英王室はそういうバランスにはものすごくシビアなところで、英国に留学して英王室と交流された陛下はそのあたりをよく理解されているから、個人的な感情としては、出席されたいかもしれないが、君主としての筋を通されたのだと思う。

しばしば、世界の国王の「戴冠式」のことが報道されるが、古式に則り宗教的な意味をもった本当の意味での即位儀礼は、フランス版のWikipediaによれば、日本と英国のものだけだということだ。たとえば、ほかのヨーロッパ各国の即位式では、「戴冠」ということがされないのである。

その戴冠式の次第を、篠塚隆・前モロッコ大使と共著で『英国王室と日本人:華麗なるロイヤルファミリーの物語』(小学館)で、日本の天皇陛下の即位礼と比較しつつ、詳しく紹介した。

この本では、英国王室の歴史と現在、世界のロイヤルファミリー、日本の皇室外交といったテーマを扱っているが、篠塚氏は宮内庁で儀式を司る式部官を長年勤め、世界の王室にも詳しい外交官であるので、信頼性の高い内容の書籍にできた。

その戴冠式と出版を機に、この欄でも、何回かに分けて英国の王室、日本とのつながり、世界のほかのロイヤルファミリーについて紹介したいと思うが、まず、今回は、英国王室がなぜ別格というべき存在かということについて記したい。

15国の君主を兼ねる英国王と最長の日本の皇室

現在の世界には、広めに数えると、44の君主国がある。だが、そのうちの15か国は、チャールズ3世が兼ねている。厳密にいうと、英国王が兼ねているのでなく、たとえば、チャールズ国王はカナダやオーストラリアの国王でもあるということだ。英連邦と日本でいうが、英語ではコモンウェルス・オブ・ネーションズであって、ブリティッシュということばは消えて対等の関係なのである。

しかし、いずれにせよ、英国王は15もの国の君主を兼ねており、しかも、英連邦全体の象徴的存在とされているから、その意味ではほかの君主を超越した特別な存在であることに間違いはない。

歴史ということになると、日本の皇室は、『日本書紀』で神武創業とされている紀元前660年からかどうかは確かでないが、世代数から考えれば、紀元前後から続いているとみられ、たとえ、初期の歴史にあやふやのところがあるとしても、2000年近い歴史であることは間違いないし、しかも、統一国家の成立以来、同一家系での継承が続いているという意味でも、特別な価値を持つ。

チャールズ国王を待つ試練のとき

それでは、ヨーロッパの王室のなかで、どこが一番古いかといえば、デンマークとかスペインがどこに起源があるかということの設定いかんでは英国王室より古いともいえるのだが、国家としても王朝としても安定し、一貫制をもって継続してきたのは英王室だ。

もし、統一イングランドの君主ということでいえば、829年に即位したエグバート王と云うことになるが、1066年にこの国は、フランスのノルマンディー公ギヨーム(ウィリアム1世)によって征服されたので、これが、いわば英国の神武天皇である。

そして、その後は、ノルマンディー公国の伝統に従って、女王や女系相続が可能になっているので、その慣習法的原則に従って継承されているわけで、王朝の名前は交替しているが、一貫制が失われたことはない。

もし、フランス王家が健在なら、男系男子、しかも嫡出という厳しい条件で10世紀から続いているので別格だが、現在の君主のなかで、英王室は最高の名門であることに疑いはない。

さらに、英連邦まで拡げなくても、英国(正式にはグレートブリテン及び北アイルランド連合王国)は、世界でGDPが第5位の経済大国であるから、日本の第3位よりは下だが、世界で2番目の大君主国だ。

 それでは、安定性とか評判という意味ではどうだろうか。かつて、エジプトの国王だったファルーク王は、世界の君主で最後に残るのは、トランプの4人の王と英国王だけだろうといったそうだが、ヨーロッパや中東の君主国のなかで、英国王ほど広く国民から支持されている君主はいない。

国歌にしても、すばり、『ゴッド・セーブ・ザ・キング』であって、『君が代』よりさらに直接的に君主制擁護の国歌だ。

ただ、英連邦の解体、北アイルランド、スコットランド、ウェールズでの民族運動の高まりといったなかで、その存立基盤は脅かされており、しかも、チャールズ国王(当時は皇太子)とダイアナ妃の離婚問題以来というもの、スキャンダルもあとを絶たない。

にも関わらず、国民が王室を信頼し続けてきたのは、エリザベス女王という、抜群の安定感をもった女王らしい女王が70年間も在位し、リーダーシップをとり続けてきたことによるところが大きい。

それだけに、チャールズ国王とカミラ王妃のもとで、英王室がエリザベス女王時代と同じように国民から信頼されるかどうかは微妙なところだ。

しかし、チャールズ国王も王妃も、長い待機期間中に十分過ぎるほど準備を行なってきたのだから、なんとか、この試練を耐え忍ぶのでないかと思う人が多い。

日本でも明治天皇の足かけ46年、昭和天皇の64年の在位が終わる頃には、不安に思う人もいたわけだが、平成の両陛下(上皇上皇后陛下)が満を持して新しい君主像を体現されて信頼を取り戻されたのである。

英国における王朝交替の歴史

英王室の問題とか、ロイヤルファミリーの生活については、別の機会に紹介するとして、今回は、ノルマン朝から現在のウィンザー朝に至るまでの、王朝交替の歴史のおさらいと王位継承原則について紹介したいと思う。

日本の皇室とのふたつの大きな違いは、女王と女系継承が認められていることだ。ノルマン人による征服のあと王朝の名前が何度も変わっているのは、基本的には女系継承が挟まれているからだ。

もうひとつは、ヨーロッパでは、外国の王室との結婚が多く、むしろ、20世紀になるまでは、臣下との結婚はなかったり、貴賤婚といわれて継承権がなくなったりしたので、ヨーロッパの王家はみんな親戚だということだ。

現在のヨーロッパの王家を男系の先祖だけでみると、英国とデンマークとノルウェーはグリュックスブルク家、スペインとルクセンブルクはブルボン家、ベルギーはエリザベス女王までの英王室と同じザクセン=コーブルク=ゴータ家なのである。

それでは、英王室の王朝交替はどうなってきたかだが、1066年にイングランド征服をしたのは、フランスのノルマンディー公であって、ノルマン王朝という。

しかし、男系で維持できず、ウィリアム1世の子のヘンリー1世の外孫であるフランス貴族のアンジュー伯アンリ(ヘンリー2世)が王位に就いた(1154年)。プランタジネット朝といわれる、この王統は、フランスの大領主であって、しかも、エドワード3世やヘンリー6世はフランス王の外孫でもあったので、フランス王位を狙い、英仏百年戦争を戦った。

しかし、土壇場で男系男子の継承がフランスの伝統だというジャンヌ・ダルクの大活躍で逆転され、フランス王になるチャンスは消えた。さらに、ランカスター家(赤バラが紋章)とヨーク家(白バラ)で内戦となり、最後は、女系でランカスター家の血を引くテューダー家のヘンリー7世がヨーク家のリチャード3世を倒して王位を継承した(1485年)。

テューダー家はウェールズ貴族の出身で、騎士道的なプランタジネットに対して商業的・実際的なセンスをもたらしたといわれる。しかし、エリザベス1世が独身のままだったので、ヘンリー7世の女系子孫であるスコットランド王家ステュアート家のジェームス1世がイングランド王を兼ねた(1603年)。

この王家は王権神授説を唱え専制的、カトリック的だったので、清教徒革命や名誉革命が起こり、ジェームス1世の孫娘であるドイツのハノーバー公妃ソフィーの子孫でプロテスタントであることが王位継承の条件とされ、ハノーバー公ゲオルク(ジョージ1世)が即位した(1714年)。

この王は英語が話せなかったので、「君臨すれども統治せず」の原則ができたとされる。ジョージ4世のあと、姪のビクトリア女王が即位し、その子のエドワード7世からは、ビクトリア女王の夫アルバート公の実家であるサックス=コバーク=ゴータ家が家名となった(1901年)。しかし、第一次世界大戦でドイツ語の王朝名もまずいということで、ウィンザー家となった(1917年)。

男女平等になったがすでに生まれた王族の順位はそのまま

エリザベス女王のとき、ウィンザー家か夫フィリップ殿下のマウントバッテン家かが論争となったが、チャーチル首相の強い主張もあって、王朝名はウィンザー家、王家から出る子孫の名はマウントバッテン・ウィンザーという玉虫色の解決となった。

マウントバッテン家は、ギリシャ王家出身のフィリップ殿下が英国に帰化するときに名字としたもので、ドイツのバッテンベルク家の英語名である。ギリシャ王家はデンマーク王家の分家で、本来は北西ドイツのグリュックスブルク家が女系継承でデンマーク王家となったものだ。

このあたりの複雑な関係は、系図を見ないと説明できない。詳細な系図を本書では掲載しているのでご覧いただきたい。

王位継承は、男子が無ければ女子でもいいというのが伝統的だったが、2013年の王位継承法で男女にかかわらず長子相続になったが、変更以前に誕生した王族には適用されていない。ウィリアム皇太子の子では第2子のシャーロット王女が第3子のルイ王子に優先するが、エリザベス女王の子のなかでは、これまで通り、第3子のアンドルー王子が第2子のアン王女より優先されている。

  欧州の他君主国でも、誕生後に順位を変えたのは、スウェーデンで第3子が男子だったときに、誕生わずか2か月後に姉のビクトリア王女を優先させることにしたのが、唯一の例になる。

筆者と前モロッコ大使篠塚隆による共著
『英国王室と日本人:華麗なるロイヤルファミリーの物語』(小学館)

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