暮らしを豊かに、私らしく

病気の父親と過ごした体験から生まれた、ミア・ハンセン=ラヴ監督のヒューマンドラマ『それでも私は生きていく』。次第に記憶を失っていく父を見つめる悲しみと新しい恋がもたらす喜び。シングルマザーの女性が両極の感情に心の針を大きく振りながら、真摯に生きていく物語です。

仕事と介護、子育てに奔走するシングルマザーを演じるのは、フランスを代表する女優レア・セドゥ

――サンドラは、夫を亡くした後、通訳の仕事をしながら8歳の娘リンを育てているシングルマザー。仕事の合間を縫って、病を患う年老いた父ゲオルグの見舞いも欠かさない。かつて哲学教師だった父は現在、一人住まい。アルツハイマー病に由来する神経変性疾患を煩い、その視力と記憶は無情にも失われつつあった。サンドラは愛する父の変わりゆく姿を目の当たりにし、無力感を覚える。そんな時、亡き夫の友人であったクレマンと再会。クレマンは妻子との関係に悩んでおり、サンドラは知的で優しい彼に魅かれてゆく――

主人公のサンドラを演じているのは映画『007 スペクター』(2015)、『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』(2021)と2作連続でボンドガールに選ばれたレア・セドゥ。祖父はフランスの大手映画制作会社パテの会長、大叔父は同じく映画制作会社ゴーモンの会長、母親は石油開発会社シュルンベルジェ創設者の孫といった錚々たるメンツのセドゥ家の出身。「エマニエル夫人」の再映画化『エマニエル(原題) / Emmanuelle』で主演を務めることも決まっているフランスを代表する女優です。

監督はパワフルで型にハマらない色気を放つ彼女をイメージして、サンドラを書いたそう。劇中の彼女は仕事と介護、子育てでおしゃれに時間を割く余裕のないサンドラにふさわしく、短くカットした髪、すっぴん、デニム、リュックといった活動重視のスタイルです。それでも、目を引かずにいられない、清潔感のある妖艶さ、奔放さが漂っているサンドラはまさしくレア・セドゥにしか演じられないキャラクター。

家族、親子、恋人との複雑な関係性の中で、自分の辛い心の内を明かせずに生きる主人公

サンドラには病の父に加え、98歳の彼の母も健在です。サンドラは娘を連れ、定期的に父だけでなく、祖母のもとにも訪問します。高齢の彼女は「生きているのが辛い時もある」とこぼしながらも父とは対照的に矍鑠(かくしゃく)としています。「階段を降りられないから外出が大変。まるで檻の中にいるよう」という言葉には身につまされますが、美容師とネイリストには来てもらっていると言い、パリジェンヌらしい心意気が頼もしく感じられます。

――症状が進み、身の回りのことすらできなくなってしまった父親。彼には週に一度、訪ねてくる恋人がいるが、彼女にも持病があり、同居して、父親の世話をすることはできない。1日3度の訪問介護では間に合わず、結局、施設に入れることになる。民間の施設はサービスが行き届いているが、パリ市内だと料金が桁外れで、父の年金では払えない。安い施設は人を家畜のように扱う。公営の施設をいくつか見つけるが、ほとんどが自立していない患者。サンドラら家族は後ろ髪を引かれる思いで、父をある施設に預ける――

施設が足りない。介護士はもっと足りない。これは世界中で起きている都市部の傾向なのでしょうか。運よく施設に入れられても突然、施設側の態度が急変し、退院を求められたり、家族には気の休まらない日々が続きます。

主人がもう戻って来れないであろう父親の部屋で、大量の物を前に呆然とする残された家族たち。今や記憶の大半が失われてしまった父親本人よりも書棚の本の方が父親らしいと感じているサンドラは本一冊、捨てることができません。父親が選んだ本ひとつひとつに彼の人間性を感じるサンドラにとっては、どれもが大切な思い出の扉を開く鍵のような宝物でしょう。一方、そんな感傷的な娘に呆れる母親。離婚して、過去を捨てた彼女は新しいパートナーと今を生きています。結局は他人の父と母、同じ遺伝子を持つ父と娘の関係性の違いでしょうか。

日々のことを精一杯こなし、現実逃避のように恋に突き進んでいくサンドラ。母と違い、もし、自分が父親と同じ病気になってしまったらという不安も抱えています。無口な彼女は誰かに自分の辛い心の内を明かすことができません。病気の父親、別の家族と暮らす母親、成長期の娘、そして妻子が気掛かりな恋人。話を聞いてくれる人は本当にいないのでしょうか。

何があっても人生は続く。映画から伝わる、日々を生きる私たちへのエール

「それでも私は生きていく」という邦題が秀逸で、映画を見ながら何度もその言葉を反芻しました。原題は「Un beau matin」、英語のタイトルは直訳の「One Fine Morning」なので、本来のタイトルは「ある晴れた朝」となるでしょうか。

悲しい時、辛い時、自分の心とは関係なく、雲ひとつない青空が広がっていたりします。そうして日々の暮らしは続いていく。オープニングとエンディングは同じように晴れた朝のシーンです。エンディングが違っているのは、サンドラが冒頭と打って変わって、ミニスカート姿だということ! 決してお為ごかしではないエンディングはきっと当事者だった監督からのエール。元気づけられます。

それでも私は生きていく
5月5日(金・祝)より新宿武蔵野館、シネスイッチ銀座ほか全国順次公開
配給:アンプラグド
監督・脚本:ミア・ハンセン=ラブ「未来よ こんにちは」「ベルイマン島にて」
出演:レア・セドゥ、パスカル・グレゴリー、メルヴィル・プポー、ニコール・ガルシア、カミーユ・ルバン・マルタン
撮影:ドゥニ・ルノワール
編集:マリオン・モニエ
美術:ミラ・プレリ
2022年/フランス/ 112分/カラー/ビスタ/5.1ch/原題:Un beau Matin/英題:One Fine Morning/日本語字幕:手束紀子 R15+
公式HP :unpfilm.com/soredemo
Twitter:soredemo_movie

文/高山亜紀


 

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