信長の妹・お市と結婚
その後、勝家は信長の妹・お市と結婚します。当時、勝家は60歳近くとされ、二人は20歳以上離れた年の差結婚でした。夫・浅井長政を亡くしたお市の再婚は、信長の命令であったともいわれていますが、勝家と羽柴秀吉(豊臣秀吉)と申合せのあったことが推測されます。この婚儀により、勝家の居城・越前北ノ庄にお市と娘らが赴きました。
秀吉との対決の末、自害
勝家は、上杉景勝らと連絡を取りつつ、秀吉に対抗しようと試みます。しかし、景勝はすでに秀吉と盟約関係に入っており、勝家はさらに孤立。逆に秀吉は、越前が冬期は雪のため自由に行動できないことを見てとり、同年12月、勝家の属城である近江・長浜城にて柴田勝豊(かつとよ=勝家の養子)を攻め落としました。さらに秀吉は美濃に進攻し、岐阜城の信孝に圧力を加え、これも降伏させます。
翌天正11年(1583)4月、勝家は出撃し、秀吉と全面対決することとなります。戦局の判断の失敗から近江・賤ヶ岳(しずがたけ)の戦いで敗れ、居城の北ノ庄城へ逃れました。その後は秀吉軍に攻囲され、妻・お市とともに自殺。信長の死からわずか10カ月後の出来事でした。
まとめ
信長に仕えた、織田家きっての猛将「柴田勝家」。信長亡き後、後継者を決める中で秀吉と対立し、命を落としました。武勇に優れたとされる勝家ですが、彼の施政から民政家としても秀でていたとされます。籠城の末、自害という悲しき最期を遂げましたが、それは勝家が秀吉と政権を争うにふさわしい人物であったからとも言えるのではないでしょうか。
※表記の年代と出来事には、諸説あります。
文/トヨダリコ(京都メディアライン)
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引用・参考図書/
『⽇本⼤百科全書』(⼩学館)
『世界⼤百科事典』(平凡社)
『国史⼤辞典』(吉川弘⽂館)