はじめに-柴田勝家とはどんな人物だったのか

2026年NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』にも登場している柴田勝家(しばた・かついえ、演:山口馬木也)は、織田信長(演:小栗旬)の重臣として知られ、「鬼柴田」の異名を持つ勇将でありながら、民政にも力を注いだ名将としても評価されています。

信長亡き後は、天下をめぐって豊臣秀吉(演:池松壮亮)と対立。壮絶な「賤ヶ岳の戦い」を経て、悲劇的な最期を迎えることとなります。そんな柴田勝家の波乱の生涯を、史実に基づいてご紹介しましょう。

『豊臣兄弟!』では、足軽時代の秀吉と秀長にとっては怖くて苦手な存在として描かれます。

柴田勝家
柴田勝家

柴田勝家が生きた時代

柴田勝家が活躍したのは、天下人・織田信長の台頭から、その後継を巡る激しい政争の時代です。

この時代は、戦国大名たちがそれぞれの領地と野望をかけて覇権を争い、戦乱が続く中で、「天下布武」を掲げた織田信長が勢力を拡大。その家臣団には、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)や明智光秀、丹羽長秀、滝川一益といった名だたる武将が名を連ね、勝家もその中核を担っていきます。

信長の死後は、秀吉とその覇権を争うこととなり、戦国の終幕を象徴する存在の一人となっていきました。

柴田勝家の足跡と主な出来事

柴田勝家は、生年不詳で、天正11年(1583)に没しています。その生涯を出来事とともに紐解いていきましょう。

信長の弟に仕えるも、信長に降る

柴田勝家の出生年は明確ではありませんが、大永2年(1522)ごろに尾張国(現在の愛知県)に生まれたとされています。権六 (ごんろく) 、修理亮 (しゅりのすけ)とも呼ばれています。

若い頃は、織田信長の弟・信行(のぶゆき)に仕えており、一時は信長に敵対していました。

しかし、信行の反乱が鎮圧されると勝家も降伏。再度の陰謀を信長に密告し、その後は信長に仕えることに。武勇と忠誠心を持って家臣団の中でも重要な地位を築いていきました。

織田信長
織田信長

「瓶割り柴田」の異名と北陸方面軍の総大将へ

元亀元年(1570)、六角承禎(ろっかく・しょうてい/じょうてい)・義治(よしはる)父子と戦って近江の長光寺城に籠城した際、六角承禎らに水源を断たれた勝家は、水瓶を自ら割って出撃。決死の覚悟を見せたことから事態を打開し、「瓶破り柴田」としてその武名を轟かせます。

天正3年(1575)、信長が越前一向一揆を平定すると、その功績により勝家は越前一国を与えられ、北陸方面軍の総司令官として、前田利家(まえだ・としいえ)・佐々成政(さっさ・なりまさ)・不破光治(ふわ・みつはる)ら「府中三人衆」を与力に従えます。

以後、勝家は加賀・能登・越中方面の平定を進め、越後の上杉景勝(うえすぎ・かげかつ)との対峙など、北国の重要な軍政を担う存在となりました。

信長の死と「清洲会議」

天正10年(1582)、本能寺の変により信長が明智光秀に討たれます。この時、勝家は越中の上杉勢と対峙しており、すぐに上洛することができませんでした。一方、いち早く中国地方から引き返した秀吉は光秀を討ち取り、政治の主導権を握っていきます。

その後、織田家の後継者を決める「清洲会議」が開かれ、勝家は信長の三男・信孝を推したのに対し、秀吉は嫡孫・三法師(のちの秀信)を擁立。

勝家はこの会議で主導権を失い、10月15日に大徳寺で催された信長の葬儀にも出席できないよう仕向けられ、秀吉との対立関係は決定的なものとなりました。

勝家は上杉景勝らに連絡をとり、秀吉に対抗しようとしました。しかし、景勝はすでに秀吉と盟約関係に入っており、さらに孤立していったのです。

反対に秀吉は、冬の越前では雪のために行動できないことを見てとり、12月には勝家の属城である近江長浜城の柴田勝豊(勝家の養子)を攻め降しています。さらには美濃にも進攻し、岐阜城の信孝を降伏させました。

豊臣秀吉

賤ヶ岳の戦いと壮絶な最期

天正11年(1583)、秀吉と勝家の対立はついに武力衝突へ。勝家は信孝や滝川一益と連携し、秀吉に対抗しますが、戦局は思うように展開できませんでした。

4月21日、近江の賤ヶ岳(しずがたけ)にて決戦が勃発。秀吉は抜群の機動力と情報戦で勝家軍を打ち破ります(賤ヶ岳の戦い)。敗れた勝家は越前・北庄城(きたのしょうじょう、現在の福井県福井市)へと撤退しますが、秀吉軍に包囲され、同月24日、妻・市(信長の妹)と共に自害して果てました。

この戦いは、豊臣秀吉が織田政権を完全に引き継ぎ、天下人への道を歩む転換点となったのです。

現在の越前北庄城址
碑文を揮毫したのは、柴田勝家公の末裔であるという日本画家の平山郁夫氏。

まとめ

柴田勝家は、勇猛で知られながらも民政にも通じた実力派の武将でした。越前統治では農民の還住を命じ、新田開発や街道整備などにも尽力し、ただの「武人」ではない一面を見せています。

秀吉・秀長兄弟とは政敵として相対しましたが、いずれも織田家の未来を案じ、己の信念を貫いたがゆえの衝突でした。

信長の死後、最も織田家を想っていたからこそ、その遺志を継ぎたかった勝家。悲劇的な最期を遂げた彼の生涯は、戦国時代の忠義と変革のはざまで揺れる武将の姿を今に伝えています。

※表記の年代と出来事には、諸説あります。

文/菅原喜子(京都メディアライン)
肖像画/もぱ(京都メディアライン)
HP:https://kyotomedialine.com FB

引用・参考図書/
『⽇本⼤百科全書』(⼩学館)
『世界⼤百科事典』(平凡社)
『国史⼤辞典』(吉川弘⽂館)
『日本人名大辞典』(講談社)

 

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