文/鈴木拓也
俳句の上達には、いくつかのコツがあるが、なかでも効果が大きいのは「添削」ではないだろうか。
そう思わせる1冊に最近出合った。
書名は『俳句劇的添削術』(KADOKAWA)。俳句雑誌「汀」を主宰する俳人・井上弘美さんの著作だ。
本書は、「汀」に連載の「推敲のエチュード」に書き下ろしを加え、再編集・改稿したもの。投句会員の俳句に対し、井上さんが講評・添削するという体裁で、91句の実例が掲載されている。
それぞれの作品は、まず原句があり、それを推敲する作者の思考の流れがつづられる。そうした推敲の後に仕上がった成句に対し、井上さんが講評する。約300ページにおよぶ本書は、秀句を追求する作者と添削者の共演を見るようで、引き込まれる。その魅力を語るには、筆者の力量ではまったく心もとない。代わりに収載の3例を紹介することで、それを伝えられれば思う。
「切れ」を設けて感動を表現
1つめは、「早梅の向こうに見える外国船」。これが原句となる。
作者によれば、元日の海浜公園の散策で、目の前に梅の花を、遠くの海に外国船を見て、この句を思い浮かべたという。
原句では、梅と船の距離が近すぎるため、「向こう」を「はるか」に、「見える」を「行ける」とし、「外国船」より「貨物船」の方がふさわしいと考え、成句は「早梅のはるかを行ける貨物船」となった。
井上さんは、「早梅」の静と「貨物船」の動の対比、近景と遠景の組み合わせの巧みさを評価したうえで、「切れが無い」という問題点を指摘。「早梅や」と切る添削を行った。
添削1:早梅やはるかを行ける貨物船
2つめの添削は、表現方法を工夫し、動詞を外したものとなる。
添削2:早梅や航はるかなる貨物船
季語を印象的にする
次の原句は「人住まぬ生家となりし夾竹桃」。
夾竹桃(きょうちくとう)は、白や濃い桃色の花を咲かせる常緑低木で、強い毒性を持つ。作者が生まれたときに、父親は庭に夾竹桃を植えたという。
「華やかな花の裏側にある本来の姿を知って、その不気味さが自分の持つ何かを象徴しているように思え、気持ちが沈んだ」と、作者は記している。
推敲を経て、「夾竹桃庇の低き生家かな」と成句ができた。「庇の低き」は、時間の経過とともに、作者の環境や気持ち、視点が変化し、複雑な家の問題に対応できるようになったと気づいたとき、よぎった言葉だそうだ。
この成句に対し、井上さんは以下のように講評する。
一句として見た時、「庇の低き」では、「夾竹桃」という季語があまり働いていないようにも思えます。毒を持った「夾竹桃」の生命力と、「生家」を、もう少し際立ててもよいのではないでしょうか。(本書137pより)
添削してできたのが「夾竹桃猛々しくも吾が生家」。
「猛々しい」という言葉が、「吾が生家」に複雑な味わいをもたせている。
発想を飛躍させ新味を生む
3つめは、「竹の葉散る淡きひかりの嵩なせり」。
この原句は、日本庭園にたたずむ洋館の脇に竹林があり、その葉が静かに散っている情景から生まれた。
洋館の中には、木彫りの大きな蓄音機やグランドピアノがあり、窓からは庭園の緑が一望できた。そこで推敲して「竹の葉散るからくさ彫りの蓄音機」となったが、何かが足りず不満が残ったという。
するうち、脳裏には「昔ピアノの会で、ある姉妹が振袖姿でピアノを弾いていた姿」が思い出された。ここから、「連弾の袂さやけし竹落葉」という成句が導かれる。
この推敲句と成句に対し、井上さんは次のように評した。
推敲句は「蓄音機」との取り合わせがいいと思います。ただし、「竹の葉散る」と「からくさ彫り」では、植物の組み合わせなので季語の印象が弱くなってしまいます。これは別の季語で一句にしておきたいところです。成句は現実にはない情景ですが、「連弾の袂」という表現が魅力的です。ただし、季語が初夏なので「袂さやけし」はさらに推敲が必要でしょう。そこで、原句、推敲句の「竹の葉散る」の明るさを生かし、「さやけし」を外しました(本書199pより)
添削によって「竹の葉の散る連弾の袂かな」という句に生まれ変わった。
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本書を一読して実感したのは、一句が、自らの推敲と指導者の添削を経て洗練されるプロセスを見るのは、自らの感性を高めてくれるということ。もう一歩上達したいと願うすべての方に、ぜひ読んでほしい一冊だ。
【今日の教養を高める1冊】
『俳句劇的添削術』
文/鈴木拓也 老舗翻訳会社役員を退任後、フリーライター兼ボードゲーム制作者となる。趣味は神社仏閣・秘境巡りで、撮った映像をYouTube(Mystical Places in Japan)に掲載している。