朝から飲んで、
その勢で山越えする。
呼吸がはずんで一しほ山気を感じた。──『行乞記』より

《行程五里、九十四間の自然石段に》と山頭火が記した地を思わせる石段で。ここから着物姿の兼好さんの旅が始まった。

詠む人・画 三遊亭兼好さん(落語家・52歳)

昭和45年、福島県会津若松市生まれ。28歳で三遊亭好楽に入門し、平成20年、真打に昇進。明るく確かな高座で今や五代目圓楽一門会きっての人気者。イラストの才も発揮。

太寧山瑞光寺

江戸期は大名らの本陣としても利用された

応安2年(1369)、領主嬉野氏が創建。臨済宗南禅寺派に属し本尊には運慶作とされる薬師如来像が。山頭火は彼岸会説教を聴聞。

佐賀県嬉野市嬉野町下宿乙1560
電話:0954・42・0271
開場:7時30分〜18時 境内自由
交通:嬉野温泉バスセンターより徒歩約5分

「一般的には相当駄目な人間ですよね、山頭火は。でもなんだか惹かれてしまう。欠点以上に人間としての魅力が勝さるのでしょうね」

山中、緑深い石段を歩きながら三遊亭兼好さんがそう話す。

種田山頭火は言わずと知れた自由律俳句の立役者。自由律とは定型に縛られず、感じたままをリズムよく表現する俳句のこと。山頭火は58年の生涯で、1万2000余りもの句を詠んだ。

“駄目な”というのは放浪流転を繰り返し、型破りな生き方をしていたからか。妻子を顧みず句作に邁進。ひとつ処に留まることができず、先人の足跡をなぞりつつ、あちらこちらへと。大正14年に出家得度してからは行乞(ぎょうこつ)し、《うつりゆく心の影をありのまゝに写そう》と標榜していた。その日々を綴ったのが『行乞記』で、今回は昭和7年の1月、3月と嬉野温泉あたりでの乞食(こつじき)を行ずる日々を兼好さんは辿り、イラストに描いた。

休みすぎた、
だらけた、
一句も生まれない。──『行乞記』より

井手酒造

山頭火が喜び酔った嬉野随一の銘酒

製茶の事業に注力した井手與四太郎が明治元年に創業。令和2年酒類鑑評会純米の部で大賞に。

温泉が湧く酒蔵は珍しい。繁忙期、泊まり込みで働く蔵人のために湯をたたえる。一般は利用不可。茶所らしく蔵人は茶農家と兼業している。
井手酒造の店先には山頭火の句碑がある。

佐賀県嬉野市嬉野町大字下宿乙806-1
電話:0954・43・0001
営業時間:8時30分〜18時
定休日:日曜
交通:嬉野温泉バスセンターより徒歩約6分

山頭火ゆかりの酒蔵へ

「つねに酒に浸り湯に浸かりたい山頭火にとって、嬉野は最高な場所だったはず」という兼好さんと、井手酒造へ。『行乞記』に《飲んだたらふく飲んだ〜略〜どちらの酒もよろしい、酒銘「一人娘」「虎之児」》とある。「一人娘」の蔵は現存しないが、「虎之児」の井手酒造は変わらず酒を醸し続けている。

蔵には山頭火の記録はないが、宿で飲んだのか、直接買いにきたのか、それともその両方か。

「当時は養子に出されていた曽祖父が家の事情で呼び戻され蔵を継ぐことになった頃。選択の自由なんて許されなかった時代です」と6代目の東敦子さんがいうと、「山頭火を見たひいおじいさんは、彼の奔放な姿をうらやんだかも。でも自由を得るには乞食坊主の道しかない。“俺にはその気概はない”とご自身の運命を受け入れたかもしれませんね」と兼好さんは、両者の境遇に思いを馳せた。

母屋の座敷で、6代目の東さんと「虎之児特撰」をいただく。1升2530円。中央は利き猪口、枡、かつて使用されていた五合徳利。

山頭火をなぞると、人間の本質が見えてきた

さみしい湯があふれる ── 種田山頭火

嬉野の湯も、たいそう気に入ったことがわかる。豊富な湧出量と各宿に自家温泉があることが他所より秀でていると絶賛し、3月の嬉野滞在の折には《また好きな嬉野温泉》と記したほどだ。さらには《こんなところに落ちつきたいと思ひます》と、草庵を結ぼうとしたが頓挫した。

行乞を流転と捉えていた山頭火を引き止めた温泉宿も今はない。大型施設の多い地ゆえ、往時のように力強い源泉をそのまま提供する宿もほぼない。

嬉野温泉 嬉泉館

自家の源泉をひと晩かけて冷ました貴重な湯

一番風呂に浸かりながら、「肌をなでるとしっとりまとう心地よさ。これぞ湯守の技」と兼好さん。岩風呂には大きな狸の置物が。

佐賀県嬉野市嬉野町下宿乙2202-18
電話:0954・43・0665
営業時間:10時30分〜21時頃
定休日:不定 
入浴料大人700円
嬉野温泉バスセンターより徒歩約3分

手間ひまかけた湯を堪能

「山頭火さんの時代は湯量が豊富で、ある程度までは自噴していたと思います。うちの湯は昭和11年からで(※宿の開業は昭和57年。それまでは左官業を営んでいた。)、以来、手法を変えていません」とは『嬉泉館』の白川晃之さん。毎晩23時に湯を落として掃除。源泉は90℃と高温のため、屋上まで汲み上げたのち、ひと晩かけて冷ましながら風呂に注ぐ。加水・加温・消毒いっさいなしの本物の湯。お湯が練れるため肌触りが格別だ。兼好さんも、

「山頭火同様、なにもしたくない、なにも思い浮かびません(笑)」

と湯から出る気力を奪われていた。

山頭火が酒と湯に身を委ね、嬉野茶の甘み、温泉豆腐の旨さに溺れること1週間。何度か出立しようとするものの、

「《嬉野ガールはまだ鑑賞しない!》と『行乞記』で宣っていますからねぇ。表現者として苦悩に満ちているようで、やはり俗っぽい。偉大なる俳人ではなく生々しさが愛おしく、またさみしい。それが心に沁みるのでしょうね」

鐘が鳴る温泉橋を渡る ── 種田山頭火

湯に浸かり、湯豆腐を肴に酒を飲んだあとは町を散策。ここは嬉野橋。右は公衆浴場「シーボルトの湯」だ。

立ち寄り処

宗庵よこ長

蕩ける湯豆腐で、山頭火の気分が深まる

嬉野温泉でいち早く、湯豆腐を掲げた老舗。一品料理、酒の種類も充実している。

温泉水で木綿豆腐を炊くと、豆腐の角がほろほろと溶ける。「湯どうふ」520円、「虎之児生貯蔵酒」(300mL/860円)によく合う。

佐賀県嬉野市嬉野町下宿乙2190
電話:0954・42・0563
営業時間:10時30分〜21時
定休日:水曜 
交通:嬉野温泉バスセンターより徒歩約4分

BOOKS & TEA三服

泊まらずとも寛げるブックカフェ

創業72年の宿『和多屋別荘』内に昨年開業した読書と日本茶を愉しめる場。宿泊者以外は入場料がかかるが、知的好奇心をくすぐる本を手に茶を喫する時間は至福。写真の部屋は1泊2食付きで2名利用時ひとり2万4800円〜。
新刊を中心に古書も含めて約1万冊の書籍を自由に閲覧、購入できる。
嬉野の「副島園」の煎茶(100g750円)、特上釜炒り茶(100g1200円)、茶筒は「我戸幹男商店」のKARMI徳(1万3200円)

佐賀県嬉野市嬉野町下宿乙738 和多屋別荘
電話:0954・42・0210 
営業時間:9時〜22時(最終入場20時)*宿泊者は8時〜利用可。
定休日:無休
入場料は大人1100円
交通:嬉野温泉バスセンターより徒歩約10分

嬉野温泉へは福岡空港から嬉野温泉バスセンターまで高速バスで約90分。長崎空港から車で約40分。武雄温泉駅へは佐賀駅からJRの特急で約30分。9月に開業予定の西九州新幹線では長崎駅から嬉野温泉駅へは約25分、武雄温泉駅へは約30分となる。

ちょっと足を延ばして…

武雄温泉 殿様湯

領主・武雄鍋島氏専用。総大理石の瀟洒な湯

1300年前に開湯。朝鮮出兵の際、負傷兵の湯治場として使われた。殿様湯は貸切専用だ。

大理石を市松模様に配したモダンな佇まい。四畳半と三畳の控えの間がある。
武雄温泉の象徴、楼門は国指定の重要文化財だ。

佐賀県武雄市武雄町大字武雄7425
電話:0954・23・2001
営業時間:10時〜23時
定休日:無休
貸切入浴料1時間3800円(平日3300円)
交通:佐賀駅よりJRの特急で約30分、武雄温泉駅より徒歩約12分

取材・文/山﨑真由子 撮影/松隈直樹 地図製作/もりそん
※この記事は『サライ』本誌2022年8月号より転載しました。

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