菅谷館跡にある畠山重忠の像。

山手線のターミナル駅池袋駅から東武東上線急行でおよそ1時間。武蔵嵐山(らんざん)駅を降り立って、約1kmの地に畠山重忠の館(やかた)跡「菅谷館」がある。

駅から館跡にいく道のりにある地元の中学校には、〈誉れ高き武士 畠山重忠〉と記された幟(のぼり)が何本も並んでいる。どうやら重忠は今も地域の人々に愛され、親しまれている存在のようだ。そのままさらに歩を進めて行くと、国道254号線に行きあたる。この道路を渡れば「菅谷館」。国道の道路標識には、「東京64km」「池袋57km」の表示がある。

重忠の館跡「菅谷館」には現在も遺構がのこされ、日本城郭協会認定の「続日本100名城」に選定されている。重忠の築城以降も戦国時代には、山内上杉氏などが拠点とするなど、時代に応じた整備がなされ、地域が小田原北条氏の版図となっても、なお城郭としての機能を有していたというから、この地に館を構えた畠山重忠には先見の明があったというべきだろう。

跡地の一角には埼玉県立嵐山史跡の博物館があり、展示室入り口では「甲冑姿の畠山重忠ロボット」が出迎えてくれる。大河ドラマ関連展示もあり(10月1日からは「武蔵武士と源氏 鎌倉殿誕生の時代」。9月24日~30日は臨時休館)、入館料100円とは思えない充実ぶりだ。

菅谷館跡を散策する前に、受付で販売されている『菅谷館の主 畠山重忠』(200円)という博物館刊行のガイドブックを購入した。

そのガイドブックの巻末に掲載されていた「畠山重忠 関係略年表」を眺めていてふと、「北条義時は、畠山重忠コンプレックスを抱いていたのではないか」と思いついた。

それだけ、重忠の経歴が華麗なのだ。

文武両道の「武士の鑑」畠山重忠

畠山重忠の幟。

畠山重忠は長寛2年(1164)生まれで長寛元年生まれの北条義時とは1歳しか違わない。

頼朝の挙兵時に、平氏方について三浦勢と合戦に及んだが、この時が初陣だったと思われる。重忠17歳。

いったんは平氏方についた重忠だが、頼朝が房総半島から失地回復する途上の10月4日に「長井の渡し(隅田川・場所は諸説あり)」で、秩父一族の河越重頼、江戸重長らと頼朝に帰順する。ドラマの第34回で登場した武蔵国の武士を動員する権限のある「惣検校職(そうけんぎょうしき)」を務める一族の帰順だから、周辺の豪族に与えた影響は大きかったのだろう。なんと、2日後に軍勢が相模国に入る際の先陣に畠山重忠が命じられたのだ。『源平盛衰記』には、重忠が先陣に選ばれた際の頼朝とのやり取りを記録している。

前述の三浦攻めの際に、平氏側に立って戦っているはずの重忠が源氏の白旗を掲げていたことについて、重忠は、頼朝に釈明を求められた。重忠は、「白旗は自分の先祖が、後三年の役の時に、源義家から与えられた由緒ある旗。この旗で先陣を務めた縁起の良い旗」と答えたという。頼朝は重忠の受け答えに感服して、鎌倉入りの際の先陣を命じたのだという。

どういうことか?

 前月には房総半島を本拠にする上総広常が頼朝軍に参陣し、今度は「武蔵国惣検校職」を持つ秩父一族が平氏側から寝返った。雪崩式に源氏に軍勢が集まっていることを可視化するために重忠が先陣を務めたということだろう。「白旗」のエピソードは、さらに花を添えてエピソードを補強したものではないだろうか。

そして、重忠が先陣を務めたことに関して、もうひとつ大きな理由があると考える。

重忠は、頼朝が上洛した際(建久元年)にも、東大寺の落慶法要の際(建久6年)にも、いずれも先陣を務めている。京の人間が初めて仰ぎ見る頼朝軍。その先頭に立つ武将に求められるものは何か?「容姿端麗」一択ではないだろうか。かつて、遣唐使などの唐への留学生は、成績優秀なだけではなく、「容姿端麗」な人物が選ばれていたという。それはほかの国々も同様で、あたかも国家の威信をかけるが如くであったという。

「東国からやってくる武士はどれほどの荒くれものなのか?」と恐れおののく京雀を「ハッと」させるような、現代でいう「映え」る武将が先陣に選ばれたのではないだろうか。そうした要素や雰囲気が重忠にはあったのだろう。

「武」だけではない「音曲」にも通じた風流人

武将としての重忠の功績は、前出の『源平盛衰記』のほか『平家物語』にも木曽義仲との宇治川の戦い、平家との一の谷の戦いなど、多くのエピソードが語られているので、ここではあまり触れない。重忠がすごいのは、「武」の側面だけではなく、「文」でもほかより秀でていたことではないだろうか。

『吾妻鏡』元暦元年(1184)十一月六日条には、鶴岡八幡宮で奉納神楽が催された日に、おそらく神事の後の直会(なおらい)かと思われる頼朝が臨席している場で、重忠が今様を歌ったことが記されている。『鎌倉殿の13人』では、義経の愛妾静御前が同じく鶴岡八幡宮で舞を奉納した際に、工藤祐経の鼓、重忠の銅拍子で伴奏したシーンも描かれた。

武にも優れ、音曲にも通じ、そのうえ「容姿端麗」ときたら、義時でなくてもコンプレックスを抱きそうではないか。

重忠に思いを馳せながら菅谷館をめぐる。次ページに続きます

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