2022年のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の主人公は、武家政権の基礎を固めた武士「北条義時」(演・小栗旬)だ。義時の周囲には、魅力的な女性たちが多くいた。そんな鎌倉時代の女性たちの紹介を通して、義時の周りに渦巻く人間模様を描いてみたい。
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「権威無双の女房」
北条義時は、62年の生涯のなかで、少なくとも4人の女性との間に、16人の子どもを儲けた。最初の正妻は、姫の前(比奈/演・堀田真由)という女性である。
姫の前は、比企朝宗(ひきともむね)の娘で、将軍御所で女房をつとめていた。周知の通り、源頼朝は伊豆で20年におよぶ流人生活を送るが、その間、頼朝を支援していたのが、頼朝の乳母(めのと)をつとめる比企尼の一族であった。朝宗は、この比企尼の子とも兄弟ともいわれる人物である。
姫の前は、格別に頼朝のお気に入りで、また大変美しい容姿の持ち主であった。鎌倉幕府の編纂した歴史書『吾妻鏡』には「権威無双の女房なり。殊に御意に相ひ叶ふ。また容顔太だ美麗と云々」(1192年9月25日条)とある。
彼女を見初めた義時は、1、2年もの間、手紙を送り続けたが、相手にされなかった。そこで、見かねた頼朝が義時に「姫の前と絶対に離別しません」という内容の起請文(今でいう誓約書)を書かせて、2人の仲を取り持ち、無事結婚に至ったという。時に1192年、義時は30歳になっていた。
なお、のちに3代執権となり、「御成敗式目」を制定したことでも知られる長男の泰時は、すでに1183年に誕生しているが、その母阿波局は「御所の女房」と記されるのみで、出自はわからない。身分が低かったため、妾にすぎなかったといわれている。
婚姻の意義
頼朝が義時の婚姻に関与したことは、重要な政治的意義をもつ。
頼朝がもっとも頼りとしていたのは、妻方の北条氏と流人時代を支えてくれた比企氏であった。したがって、頼朝は、比企と北条両氏の連携による幕府運営を期待していたと考えられる。ゆえに、頼朝が比企の娘と北条の息子の仲を取り持ったのも、不憫な義時を憐れんで……という単純な話ではなく、両氏の結びつきを強固にするためであったとみてよい。
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