梶原景時の失脚

事のはじまりは、下総国結城郡(茨城県結城市)を所領とし、頼朝の側近として活躍した結城朝光という武士の発言である。この朝光が、頼朝の死を偲んで「忠臣は二君に仕えずというから、出家すればよかった。今の政権(頼家の政治)をみると薄氷を踏んでいるかのようだ」とつぶやいたところ、しばらくして阿波局が「あなたの発言を謀反の証拠であるとして、景時が将軍頼家に讒言し、あなたは討たれることになった」と告げてきた。慌てた朝光は、三浦義村らに相談し、一夜にして御家人66名が連署する景時弾劾状を作成した。この弾劾状は頼家のもとに提出され、景時とその一族は鎌倉から追放された。

御所の女房として働く阿波局の耳には、さまざまな情報が入っていたことがわかる。そして、ここに彼女が反景時派に連なる北条一族の女性として行動する姿を見出すことができる。

多くの別れ

1203年5月、夫の全成が謀叛の疑いにより捕らえられて常陸国に流され、将軍頼家の命を受けた八田知家によって殺された。このとき頼家は阿波局も謀反の疑いがあるとして、身柄の引き渡しを要求したが、政子の庇護によって事なきを得た。この事件の背景には、頼家派(頼家・比企氏)による実朝擁立派(北条氏・阿野全成)の勢力削減があったと考えられる。

同年9月には、ついに実朝が擁立され、3代将軍となった。実朝は政子のもとから後見役をつとめる北条時政の邸宅に移ったが、阿波局は乳母として実朝に同道し、時政の後妻牧の方が実朝に危害を加える可能性があるとして政子に報告し、政子が実朝を取り返すという一件が起きている。『吾妻鏡』に描かれるこの一件が事実であれば、政子にとってこれほど頼りになる存在も他におるまい。

しかし、大切に育ててきた実朝も、1219年公暁の刃の前に倒れた。実朝暗殺後の彼女の動向はよくわからない。ただ、1227年11月までは存命であったようで、その死に際しては、大叔母にあたる阿波局のために、北条泰時が30日の喪に服している。

三つの立場

阿波局に関する史料は決して多くない。『吾妻鏡』に数例散見するのみであるが、頼朝の弟全成の妻、実朝の乳母、将軍御所の女房という三つの属性を備え、幕府政治の重要な局面に関与していることは注目に値する。とくに実朝の擁立に関しては裏でさまざまに秘策をめぐらした可能性がある。

また、政争の中で夫や養君を失い、不遇な生涯ではあったが、1224年に義時、1225年に政子が亡くなっていることを鑑みると、史料上には見えないけれども、傍近くにあって、時には重要な情報を伝え、時にはその相談相手になるなど、兄や姉を精神的に支えたのではあるまいか。北条氏の躍進を支えた人物のひとりとして評価することができよう。

* * *

山本みなみ/1989年、岡山県生まれ。中世の政治史・女性史、とくに鎌倉幕府や北条氏を専門とし、北条義時にもっとも肉薄していると学界で話題を集める新進気鋭の研究者。京都大学大学院にて博士(人間・環境学)の学位を取得。現在は鎌倉歴史文化交流館学芸員、青山学院大学非常勤講師。『史伝 北条義時』刊行。

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