範頼の刺客が善児という衝撃
I:さて、京で発病した大姫が次の鎌倉のシーンで臨終の床に伏している様子が描かれました。
A:場面が連続したので、京で発病してすぐに亡くなったような感じになりますが、上洛が建久6年(1195)で、亡くなったのは建久8年(1197)になります。思えば、時勢と父頼朝に翻弄された短い生涯でした。
I:生涯、義高さま(演・市川染五郎)のことを思い続けていたんですね。〈やっと会える〉という最期の言葉が胸に響いて、ちょっと目頭が熱くなりましたね。
A:頼朝は、大姫の死を呪詛のせいと断じ、伊豆に幽閉されていた範頼が殺害されることになります。その討手がなんと善児(演・梶原善)。範頼が修善寺で誅されたのは事実で、墓地も修善寺にあります。Iさんは北条宗時(演・片岡愛之助)が善児に殺害された時に、〈殺し屋風情にやられるなんて〉と憤慨していましたけど……。
I:善児が予告に登場したり、オープニングロールにクレジットされたりすると、ネットがざわつくようですし、すでにキャラが確立されています。それでも私は、宗時の時と同様に範頼が殺し屋風情に殺されたのは悔しいです。
A:大河ドラマにとってオリジナルキャラは物語の潤滑油的な存在。『鎌倉殿の13人』とほぼ同時代を描いた『草燃える』(1979年)では伊東祐親の庶子という設定の伊東十郎祐之(演・滝田栄)がほぼ1年間出っぱなし。宗時を害したのも十郎祐之で、富士の巻狩りでは曽我兄弟や岡崎義実らを扇動する役割を担っていました。ですから名も無き刺客に襲撃されるよりも、キャラが確立した善児が範頼の刺客として送られる設定の方が「範頼鎮魂」になるのかなと思ったりします。
I:そうですか。
A:ただ、一抹の不安もあります。1992年の『信長 KING OF ZIPANGU』では織田家に仕える加納随天(演・平幹次郎)という架空の祈祷師が主要人物として登場していました。後半に信長の母と恋仲になったり、本能寺の変では直前まで信長と絡んだりと、あまりにも本編に絡み過ぎて、賛否別れた記憶があります。今後、善児が本編にどこまで絡むのか? 注目ですね。
I:まあ、でも作者はその辺も計算済みだと思いますよ(笑)。心配ご無用じゃないですか。
●編集者A:月刊『サライ』元編集者(現・書籍編集)。歴史作家・安部龍太郎氏の『半島をゆく』を足掛け8年担当。初めて通しで見た大河ドラマ『草燃える』(1979年)で高じた鎌倉武士好きを「こじらせて史学科」に。以降、今日に至る。『史伝 北条義時』を担当。
●ライターI:ライター。月刊『サライ』等で執筆。『サライ』2022年1月号 鎌倉特集も執筆。好きな鎌倉武士は和田義盛。猫が好き。
構成/『サライ』歴史班 一乗谷かおり