「小面」庸久作(江戸時代)。可愛らしい幼い娘や若くて美しい女の面。女性の面の中でも最も若い。

ようこそ、“好芸家”の世界へ。

「古典芸能は格式が高くてむずかしそう……」そんな思いを持った方が多いのではないだろうか。それは古典芸能そのものが持つ独特の魅力が、みなさんに伝わりきっていないからである。この連載は、明日誰かに思わず話したくなるような、古典芸能の力・技・術(すべ)などの「魅力」や「見かた」にみなさんをめぐり合わせる、そんな使命をもって綴っていこうと思う。

さあ、あなたも好事家ならぬ“好芸家”の世界へ一歩を踏み出そう。

第1回目は能の世界、とくに能という芸能を強く印象付ける存在でもある「能面」の魅力とその力をご紹介しよう。

文/ムトウ・タロー

翁「白色尉」弥勒作(重要文化財、平安時代)。曲『翁』にのみ使用する面。翁の役を務める役者は直面(ひためん/面を付けない素顔の状態)で舞台に現れ、舞台上で面を着ける。

「能面(面-おもて)」~感情が浮かび上がる瞬間~

日本映画の巨匠・小津安二郎は、かつて数多く自らの作品に出演した笠智衆(りゅうちしゅう/俳優。小津安二郎『晩春』『東京物語』などに出演)に対して、「ぼくの作品に表情はいらないよ。表情はなしだ。能面でいってくれ」と演技指導した、というエピソードが残っている。

「能面」には常に、「表情がない」ものと思われているようだ。それだけではない。冷たい、怖い、不気味……などなど、何かとネガティヴな言葉が浮かび上がってくる人も多いのではないだろうか。

しかし一口に「能面」――能楽の世界では「面(おもて)」というが――、実はその種類は多岐にわたる。大きく分けても、老人である「翁」、老年男性である「尉(しょう)」、そして「女」や「男」。

さらにこの中でも、「女」や「男」であれば老女や老人、ふくよか、痩せ気味、若い男や女、幼い子供など。そこに微笑みや悲しみ、怒りなど感情をベースにしたものも存在し、それぞれで事細かく分けられている。そして「面」は基本的に演目ごとに使用するものが決まっている。実際には様々な表情の数だけ「面」があるのだ。

「面」をつけるのは人であり人にあらず!?

能の舞台を実際に見ると、「面」を付けている人間と付けていない人間がいるのがわかる。基本的に、「面」を付けているのは、曲(演目の意)の物語の主役を担う能楽師であるシテ方のみである。これに対してシテ方と対峙する準主役のワキ方は「面」を付けない。

これには明確な理由が存在している。「面」を付けている存在は、人間の姿をしているが、実は人間ではない。この世に未練を残している人間の霊、であり、いわば「超現実的存在」として登場するものに、「面」が付けられているのである。この世に何らかの名残を残したまま世を去ったものたちである。いわば人であると同時に人ではない。だからこそ人の姿のまま舞台に立つことはできない。

そこに大きな力を発揮するのが、「面」である。「面」を纏っていることで、人であり人でないという不可思議にして曖昧な存在となる。

また、同じく「超現実的存在」として曲に登場するものには、非人間的な鬼や仏がいる。実際、「面」には「鬼」や「仏」、「怨霊」などの「面」も数多く存在する。

「中将」河内作(江戸時代)。貴族や平家の公達(きんだち/親王・貴族など身分の高い家柄の青少年)の霊に用いる面。在原業平がモデルとされる。

「面」に感情を込める能楽師

「表情がない」わけではない。とはいっても、表情に変化を付けられない「面」は、その役個々の役割のみを担っているため、それだけでは感情の機微をコントロールすることには正直、限界があるのも事実。そこに、いわば心を宿していくのが能楽師たちである。

能楽には顔を上に向ける「テラス」という動きと、顔を伏せがちにする「クモラス」という動きがある。「面」をテラスと微笑みが浮かび上がってくるように見え、「面」をクモラスと、もの悲しさが滲み出ているように見える。「面」を纏った能楽師が演じる舞と相まって、細やかな感情を入れていくのだ。

これは男や女の「面」に限らない。鬼もまたその「面」の動きによって、激しい怒りを爆発させたり、あるいは怒りに対抗する力を真に受け、たじろいだ表情に変わったり。あたかも「面」に演者の込めた感情が宿っているような姿を目撃できるだろう。

「面」は必ずしも、本来の表情だけで喜怒哀楽を演じるわけではないのだ。演者の動きによって、その「面」が表す感情を細やかに変化させることができるのである。

「般若」夜叉作(重要美術品、室町時代)。怨念、復讐、敵愾心を表現した女性の怨霊を表現する面。

役の魂と一体となる「面」

ひとたびシテ方が「面」を顔に纏い、この世の名残、そして抑えていた感情を切々と語りながら舞う姿を眼にしていくと、その冷え冷えとした木製の仮面は刹那、演者の魂と一体化をはじめ、「面」の表情にも魂が宿るのである。

そして次の瞬間、あなたは目撃するかも知れない。「面」が微かに赤らむような瞬間を。「面」の頬に血が通っているかのような瞬間を。

もちろん、これは錯覚である。木製の仮面にそのような効果は存在しない。しかしそう思わせるほどの瞬間がある。これこそ人間と「面」が一体になる、役の魂と一体となった何よりの証である。

演じている能楽師の感情が「面」にリンクする、そんなことがあるのか、と思われるかもしれないが、厳しい稽古によって、作品を理解し、役と一体になる事を繰り返す。能楽師たちのたゆまぬ鍛錬の先に、「面」に魂が宿る錯覚を、彼らが導き出しているのかもしれない。そしてこれこそ、面を付けた能楽師の力量の表れである。

この錯覚の瞬間こそ、能の醍醐味との「めぐり逢い」である。こんな素敵な場面を目の当たりにしたとき、これほど心躍ることはない。

文/ムトウ・タロー
文化芸術コラムニスト、東京藝術大学大学院で日本美学を専攻。これまで『ミセス』(文化出版局)で古典芸能コラムを連載、数多くの古典芸能関係者にインタビューを行う。

写真/観世宗家事務所

 

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