文/池上信次
「ジャズ演奏のネタ曲」紹介の続きです。今回取り上げるのは「日本民謡」。後述しますが、日本のジャズマンが日本民謡をジャズにした録音は過去にいくつもあって、民謡のジャズ化はとくに珍しいというほどではありません。が、しかし、アメリカのミュージシャンが真正面からジャズにしてしまったというのは、特別なものといえるでしょう。そのジャズマンとは、リー・モーガンとの共演やギル・エヴァンス・オーケストラへの参加でも知られる、テナー・サックスのビリー・ハーパー。彼が取り上げたのは、ザ・日本民謡ともいえる「ソーラン節」。ハーパーといえば、熱い激情のサックスのイメージですが、「ソーラン節」はまさにそのスタイルが全面に表われた演奏になっています。
ビリー・ハーパー『ラヴァーフッド』(デンオン)
演奏:ビリー・ハーパー(テナー・サックス)、エヴァレット・ホリンズ(トランペット)、ハロルド・メイバーン(ピアノ)、グレッグ・メイカー(ベース)、ホレス・アーノルド(ドラムス)、ビリー・ハート(ドラムス)
録音:1977年12月
制作・発売は日本コロムビア。ジャケットに英字で書かれているアルバム・タイトルは『Soran-Bushi, B.H.』なのですが、当時としては異色すぎたのか、日本語でのタイトルは収録曲から『ラヴァーフッド』になっています。このアルバム(LP)は、現在までCD化も配信販売もされていません。今なら堂々の『ビリー・ハーパーのソーラン節』とタイトルを付けて出してほしいところです。
ハーパーの「ソーラン節」の演奏は、LPの片面全部を占める16分超。「ヤサエンエンヤーアサアーアノドッコイショー」の歌まで入る大熱演が繰り広げられています。ハーパーは「ソーラン節」を「日本のワーク・ソング」として演奏したということですが、日本民謡の音階は、ブルース音階にも通じていることを感じさせてくれます。ハーパーが「ソーラン節」を取り上げたのは、当初はそのアルバムが日本のレコード会社による制作だったという理由もあったのかもしれませんが、その2年後の1979年には、アルバム『The Awakening』(Marge)で再録音しています。これはパリで録音され、フランスで発売されたものですから、きっかけはどうあれ、「ソーラン節」は「日本向け」とは関係なくハーパーのお気に入りのレパートリーとなったのです。こちらの演奏時間は12分。CDでも配信販売でも聴けます。
冒頭に書いた、日本のジャズマンによる民謡のジャズ化ですが、1960〜70年代にかけて多くの録音が残されています。当時は、これがけっこう流行していたようで、秋吉敏子(木更津甚句)、原信夫とシャープス&フラッツ(ソーラン節)、中村八大(八木節)ら、多くのジャズマンたちの演奏が残されています。なかでも弘田三枝子は、『日本民謡を唄う』(東芝音楽工業)という全編ジャズ・アレンジの日本民謡アルバムを残しているくらいです。しかし、日本民謡をその後もレパートリーとしていた例はほとんどなく、「企画もの」「単発作」の域を出ることはありませんでした。
そんななかで、堂々と日本民謡を自身のレパートリーとして演奏し続けているのが、世界を舞台に活躍するピアニストの山中千尋。彼女は2002年リリースの2作目『ホエン・オクトーバー・ゴーズ』で「八木節」を取り上げ、以降ライヴでも頻繁に演奏しています。さらに2005年のメジャー・デビュー作『アウトサイド・バイ・ザ・スウィング』で再録音、ベスト盤にも収録するなど、「八木節」は彼女の代表的レパートリーといえるほど。
山中千尋の出身地は群馬県桐生市。「八木節」はその地方で生まれ、いまも愛され続ける民謡です。活動の場が国際的になればなるほど、アイデンティティを意識するということの表われかもしれません。同じ日本民謡でも、ビリー・ハーパーの重量級「ソーラン節」とはまるで異なり、こちらは軽快にスウィングしています。民謡は、異国情緒も郷土愛も、さまざまな表現ができる「ネタ」なんですね。
文/池上信次
フリーランス編集者・ライター。専門はジャズ。ライターとしては、電子書籍『サブスクで学ぶジャズ史』をシリーズ刊行中(小学館スクウェア/https://shogakukan-square.jp/studio/jazz)。編集者としては『後藤雅洋著/一生モノのジャズ・ヴォーカル名盤500』(小学館新書)、『ダン・ウーレット著 丸山京子訳/「最高の音」を探して ロン・カーターのジャズと人生』『小川隆夫著/マイルス・デイヴィス大事典』(ともにシンコーミュージック・エンタテイメント)などを手がける。また、鎌倉エフエムのジャズ番組「世界はジャズを求めてる」で、月1回パーソナリティを務めている。