それでは、正解を発表します!
【クイズ1】
元禄14年(1701)3月14日、浅野内匠頭長矩による江戸城での松の廊下刃傷事件が起きた際、早見藤左衛門と萱野三平が、14日未の下刻(午後3時半頃)に早駕籠(はやかご)で江戸を発ちました。江戸と赤穂の間は約620kmです。さて、二人が大石内蔵助のいる赤穂に到着した日時は、次のどれでしょう?
(い)3月16日未の刻(午後2時頃)
(ろ)3月19日寅の刻(午前4時頃)
(は)3月22日子の刻(午前0時頃)
(に)3月25日午の刻(午後0時頃)
正解(ろ)
松の廊下刃傷事件を知らせる急使は、江戸から赤穂までを4日半で走破した。これは室鳩巣の『赤穂義人録』をはじめ、多くの書物に記されている。当時、かなり速い記録として認識されていた。
【クイズ2】
江戸城内で浅野内匠頭が吉良上野介に斬りつけたとき、浅野が仰せつかっていたのは勅使饗応役(ちょくしきょうおうやく)という仕事でした。では、大名小路にあった、勅使や院使が宿泊する施設を何といったでしょう?
(い)公家詰所
(ろ)御用屋敷
(は)伝奏屋敷
(に)評定所
正解(は)
伝奏屋敷は、武家伝奏や朝廷の使者の江戸での宿所。朝廷の役職で、幕府との交渉・連絡にあたったのが武家伝奏。
【クイズ3】
元禄15年(1702)12月、赤穂浪士による吉良上野介邸への討ち入り事件が起こりました。14日に結集した47人の浪士たちは15日早朝に吉良邸を襲撃、上野介の首を討ち取りました。では、この吉良邸があったのはどこでしょう?
(い)三番町
(ろ)本所
(は)新橋
(に)小石川
正解(ろ)
吉良は松の廊下刃傷事件の数か月後に隠居。呉服橋門内の屋敷を召し上げられ、新興地域の本所へ移された。敷地は東西130mあった。
【クイズ4】
元禄15年12月、吉良邸に討ち入り、翌年2月切腹を命じられた赤穂浪士46人の墓が泉岳寺にあります。さて、彼らの戒名には必ずある字がつけられていますが、それは次のうちどれでしょう?
(い)仁
(ろ)徳
(は)刃
(に)矩
正解(は)
泉岳寺に葬られた46人には、大石良雄「忠誠院刃空浄剣居士」、堀部安兵衛「刃雲輝剣信士」のように「刃」と「剣」を織り込んだ戒名がつけられた。この2字は、彼らが切腹したことを表わしている。
いかがでしたか? 最後の問題の正解率は僅か24%! 他は解けたけど、ここでつまずいた……という方もいるかもしれませんね。全問解けた方は自信を持ってくださいね!
※問題の出典:『“通”になる“粋”になる 江戸検クイズ百問答<事件編>』
取材・文/オノハルコ(晴レノ日スタヂオ)