前回(https://serai.jp/hobby/1037481)、コメディアン・コンビ「アボット&コステロ」のコメディ映画『凸凹空中の巻』発祥のジャズ・スタンダード「ユー・ドント・ノウ・ホワット・ラヴ・イズ」を紹介しましたが、『凸凹』シリーズ発祥の有名ジャズ・スタンダードがもう1曲あります。それは「アイル・リメンバー・エイプリル」、邦題は「四月の思い出」。使われている映画は1942年公開の『凸凹カウボーイの巻(原題:Ride ‘Em Cowboy)』で、『凸凹空中の巻』のシリーズ次作にあたります。作詞作曲がドン・レイ&ジーン・デポール(多くの資料では、ここにパトリシア・ジョンストンが加わりますが映画のクレジットにはなし)。「ユー・ドント・ノウ〜」と同じコンビです。どうしてまたまた『凸凹』からラヴソングなのでしょう?
この曲は、歌手でもある俳優ディック・フォランが恋人との語らいのシーンで歌うのですが、映画の中ではまったく目立っていません。というのも、この映画には随所にミュージカル仕立てのシーンがあり、まあ、ほかの曲に埋没しているという感じなのですね。この映画はアボット&コステロが主演のシリーズ映画ですから、お約束のドタバタ・コメディと特撮アクションが見せ場ではありますが、なんとエラ・フィッツジェラルドが役者として出演し、自身の当時の大ヒット曲「ア・ティスケット・ア・タスケット」を歌うほか、ジャズ・コーラス・グループのザ・メリー・マックスも出演。さらに両者の共演まであるという、音楽映画としても楽しめるものになっているのです。ザ・メリー・マックスは、メリー・ルー・クックとマックマイケル3兄弟の4人組で、ビング・クロスビーとの共演でも知られる当時の人気グループです。
というわけで、この映画が初発表となる「アイル・リメンバー・エイプリル」ですが、ジャズマンがこの映画を観て、そこから拾い上げて演奏して広まったとはちょっと考えにくいですね。「アイル・リメンバー〜」がジャズ・スタンダードとして広く録音が残されたのは、映画公開からかなり経った1950年代ですので、「スタンダードとしての発信源」は映画とは別にあるとみるべきでしょう。ちなみに、映画での歌唱は「ラテン調のリズムで始まり途中からスウィング」という(のちの)インストの定番のアレンジではなく、全編バラードです。
「ユー・ドント・ノウ〜」は、映画ではなく「シングル競作」で広まったと前回紹介しましたが、「アイル・リメンバー〜」も映画公開年の1942年にウディ・ハーマン・オーケストラ、チャーリー・バーネットがレコードを出しています。『ビルボード』誌1942年2月7日号には、「映画タイアップ・レコード」として紹介されています。タイアップでのヒット狙いは昔からあるのですね。こういったタイアップやシングル競作を主導するのは、アーティストやレコード会社よりも、作家側、実質的には楽曲の著作権を管理する音楽出版社です。音楽出版社は誰がヒットしても収益があるのですから、アーティストAがダメならBでもいいわけです。当時はまだシート・ミュージック(音楽媒体としての楽譜)の需要もある時代ということもあって、音楽出版社が雑誌に「楽曲」の広告を出したりもしていました。
しかしその年、いずれのレコードもチャートに入ることができませんでした。しかし、音楽出版社は「いい曲」という自信があったのでしょう、諦めずにもう一度ヒットを狙いました。2年後の1944年、『ビルボード』誌7月8日号に、チャーリー・バーネットによる「アイル・リメンバー〜」のレコード発売告知と、それによってこの曲が再び注目されるだろうというレヴューが掲載されます。そしてキティ・カーライルや、(同年創業のキャピトル・レコードから第1弾発売の1枚として)マーサ・ティルトン・ウィズ・ゴードン・ジェンキンス・オーケストラも同曲をリリース。
さらに9月には、満を持して大御所ビング・グロスビーによる同曲のレコードが発売されます。ビングとアンドリュース・シスターズの共演「Too-Ra-Loo-Ra-Loo-Ral」とのカップリング(そちらがメイン)ではありますが、同誌11月4日号の「ベストセラー・レコード」チャートでは4位にランキングされるヒットとなりました。音楽出版社と同じように、アーティストにかかわらず楽曲のヒットが収益に結びつく業種としてはジュークボックス業者がありますが、その広告にも「アイル・リメンバー〜」が記載されるなど、おそらく音楽出版社主導で、関連会社が一丸となってヒットを仕掛けたのでした。
1944年の『ビルボード・ミュージック・イヤー・ブック』(年鑑)には、「アイル・リメンバー〜」の音楽出版社リーズ・ミュージック・コーポレーションの1ページ広告(しかもカラー)が出ており、そこには過去6年の取り扱い代表曲が各2曲書かれているのですが、その最新44年の1曲が「アイル・リメンバー・エイプリル」なのです(もう1曲は「Is You Is or Is You Ain’t My Baby」で、ルイ・ジョーダン、ビング・クロスビーによる同年の大ヒット曲)。その広告には、同社の取り扱い曲は10,000曲以上とありますから、かなりの重要曲(売れた/売れる曲)の位置づけだったことがうかがえます。
ただし、ジャズ・スタンダードとしての広がりは、この2度目の「仕掛け」とも関わりがなさそうです。「アイル・リメンバー・エイプリル」の有名演奏はたくさんあるのですが、録音年で並べてみますと、早いもので1947年(リリースは1949年)のバド・パウエル、49年のジューン・クリスティ、50年のジョージ・シアリング、デイヴ・ブルーベック、51年のライオネル・ハンプトン、レッド・ノーヴォ、チャーリー・パーカーあたりでじわじわ広がり始めるというところです。その後50年代末までに、リー・コニッツ、マイルス・デイヴィス、ケニー・ドリュー、スタン・ゲッツ、カーメン・マクレエ、モダン・ジャズ・カルテット、エロール・ガーナー、ジュリー・ロンドン、ジョニー・ハートマン、ハンプトン・ホーズ、クリフォード・ブラウン、チェット・ベイカーなどなど一気に広まった感じがあります。
このジャズ・スタンダード化が、3度目の「仕掛け」によるものだったのか、それともバド・パウエルのレコードがきっかけになったのかはわかりませんが、いずれにしても『凸凹カウボーイの巻』でないことは確かです。どんな名曲でも、埋もれていては「名曲」になり得ないのですね。
文/池上信次
フリーランス編集者・ライター。専門はジャズ。ライターとしては、電子書籍『サブスクで学ぶジャズ史』をシリーズ刊行中(小学館スクウェア/https://shogakukan-square.jp/studio/jazz)。編集者としては『後藤雅洋著/一生モノのジャズ・ヴォーカル名盤500』(小学館新書)、『ダン・ウーレット著 丸山京子訳/「最高の音」を探して ロン・カーターのジャズと人生』『小川隆夫著/マイルス・デイヴィス大事典』(ともにシンコーミュージック・エンタテイメント)などを手がける。また、鎌倉エフエムのジャズ番組「世界はジャズを求めてる」で、月1回パーソナリティを務めている。