これまでこの連載では、「ありのまま」をイメージさせるライヴ録音でも、多くのテイクが録音できること、編集ヴァージョンや「擬似ライヴ」もあることなど、それは必ずしも真実の姿の記録ではないという例を紹介してきました。しかし、まったく逆に、まぎれもなく「ほんとうの演奏そのまま」というライヴ盤もあります。それは「生放送」を音源としているアルバム。モダン・ジャズの時代に、生放送音源(ラジオ放送)をアルバム化したものは少なくありませんが、多くはエアチェックの音源です(当時のラジオですので音質が悪い)。また、放送音源を放送局が長期間保存することはまれです。ですから状態のよい放送音源は少ないのですが、そんななかで、2005年に初めてCDリリースされたジョン・コルトレーンのライヴ放送音源は驚愕の内容でした。
『ワン・ダウン、ワン・アップ: ライヴ・アット・ザ・ハート・ノート』は、タイトルどおりニューヨークのジャズ・クラブ『ハーフ・ノート』での演奏で、WABC-FMの『ポートレイツ・イン・ジャズ』という番組で、生中継された音源をCD化したものです。演奏はステレオで録音されており、一部テープのドロップアウトがあるものの、CDの音質はたいへん良好。客席のライヴ感もほどよく、とても生々しい気配を記録しています。そして、それに加えてこの演奏中に起こった出来事を知ると、よけいに「リアリティ」を感じてしまうのです。
それは3月26日放送分の、オープニングMCに続く1曲目『ワン・ダウン、ワン・アップ』でのこと。演奏の途中でエルヴィン・ジョーンズのバス・ドラムのペダルが壊れてしまうのです。トラック・タイムでいうと12分30秒を過ぎから15分30秒あたりまでバス・ドラムの音がありません。じつは、エルヴィンは演奏中にしょっちゅうペダルを壊してしまったそうで、つねに予備を用意していたといいます。というわけで、エルヴィンにとってはこれも平常運行。慌てず騒がず、何事もなかったように一瞬の淀みもなく演奏は続行します。音だけでは、おそらく多くのリスナーは気がつかないでしょう。私も、評伝『ジョン・コルトレーン 私は聖者になりたい』(ベン・ラトリフ著)などでこの事実を知るまでは、気にとめることはありませんでしたが、ひとたびわかると、もうそういうふうにしか聴こえなくなってしまってドキドキしてしまうのですね。
まあ、そんなことがなくても、このすさまじい演奏からはコルトレーンたちの熱い熱い情熱が「ありのまま」に迫ってきます。この『ワン・ダウン、ワン・アップ』は28分くらいありますが、最初から最後までコルトレーンはずっと吹きっぱなしで、エルヴィンはずっと叩きっぱなし。ピアノは11分あたりで、ベースは13分あたりで抜け、その後15分間くらい、エンド・テーマまではずっとテナーとドラムスのデュオなのです(その頭のほうでペダルが壊れるんです!)。こんな濃厚すぎるジャズが、いくらジャズ専門局とはいえラジオで生放送されていたというのは驚きです。そして、メンバー紹介のアナウンスに続いて2曲目『アフロ・ブルー』が開始。その途中、盛り上がっている最中の13分くらいでアナウンスが演奏に被って番組(=CD)は終了します。アナウンスの後ろで、フェイド・アウトしていく演奏がじつにもったいないところ(45分番組でした。その先の演奏は残されていません)。「現場」で聴くのとは一味違いますが、これもまた「リアリティ」を感じさせてくれる要素のひとつといえますね。
文/池上信次
フリーランス編集者・ライター。専門はジャズ。ライターとしては、電子書籍『サブスクで学ぶジャズ史』をシリーズ刊行中(小学館スクウェア/https://shogakukan-square.jp/studio/jazz)。編集者としては『後藤雅洋著/一生モノのジャズ・ヴォーカル名盤500』(小学館新書)、『ダン・ウーレット著 丸山京子訳/「最高の音」を探して ロン・カーターのジャズと人生』『小川隆夫著/マイルス・デイヴィス大事典』(ともにシンコーミュージック・エンタテイメント)などを手がける。また、鎌倉エフエムのジャズ番組「世界はジャズを求めてる」で、月1回パーソナリティを務めている。