大岡弥四郎事件との関係は

戦国織豊期研究を手掛ける東洋大学非常勤講師の柴裕之さんは、この事件の4年前に起きた「大岡弥四郎事件」に注目する。

天正4年(1575)4月、信康の家臣大岡弥四郎とその家臣が敵対する武田勝頼に内通し、武田勢を三河に引き入れて岡崎城を引き渡そうと企んでいたことが発覚。大岡らは処刑された。

徳川幕府の公式記録である『徳川実記』では、大岡弥四郎は「大賀」弥四郎と記録されている。弥四郎は算術を得意としたことから家康に重用されたが、増長して悪事を働いていたことを咎められ免職の上、家財没収の憂き目にあった。

恨みに思った弥四郎は、仲間と語らって武田家に通じ、岡崎城乗っ取りを企んだが失敗し、土中に埋められて外に出した首を通行人に竹のノコギリで引かせるという凄惨な方法で処刑されたとされている。

柴さんは、この大岡弥四郎の事件は徳川家にとっては不名誉な事件であったため、「大岡」の名を「大賀」と変えて記録したのだろうと推測している。そして、この事件の背景には、対武田政策をめぐる徳川家中での意見の相違と対立があったと見る。

徳川領国の東半分は遠江の浜松城を中心とするエリアで、こちらは織田信長の実力を背景に徹底して武田勝頼に対抗しようとしていた。一方、三河の岡崎城を中心とする西半分は、武田氏との敵対関係を見直して融和路線を進もうと願っていた。前者はもちろん家康とその直臣が中核となり、後者は信康に近い三河衆だったろう。

この両者が、対武田政策をめぐり対立した。その軋轢を背景に起きたのが、「大岡弥四郎事件」だったというわけだ。

信長の関与はあったのか

となると、その4年後の「松平信康事件」の根っこもまた、この徳川領国における東西対決が背景にあったであろうことは容易に想像できる。

もしかすると、徳川家中を二つに割りかねない対立を、いったんは「大岡弥四郎」を成敗することで収束させたが、その後も火種は残り、ついに信長の知るところとなったのかもしれない。信長からすれば、同盟相手とは言え、すでに家康は事実上の家臣扱いだったはずだ。

その家中に敵方に通じる一派があり、家中を分裂しかねない。しかも、その一派の中心が家康の嫡男=次期当主ということになれば、放っておくわけにもいかない。家康に「善処」を求めるのは当然だ。

もしかすると、信長の娘五徳あるいはその側近は、ひそかに岡崎城と信康周辺の情報を信長に届けるという密命を帯びていたのかもしれない。となれば、五徳の「告げ口」は情報戦における正当な作戦行動だったということにもなろう。

栄光の歴史を守るために歴史を改変

さらに深読みをするならば、家康自身、家中の混乱と分裂を避けるためには、すでに嫡男信康を「処断」する必要を認め、その覚悟を決めていた可能性もある。しかし、自らの判断で信康とその一派を処罰するとなると、信康グループの反発は避けられない。

そのため、すでに天下人として「上位権力」となっていた信長の「命令」をあえて仰ぐかたちで、信康と築山殿の処刑を一気に推し進め、家康自身は「ふたりの処刑は不本意だったが、信長の命令で仕方なくやった」ということにして、家中の対立を少しでも抑えようとした可能性もあるだろう。

いずれにせよ、正室と嫡男が「神君(とのちに呼ばれる)」家康を裏切って処刑されたという事実は、徳川将軍家の「栄光の歴史」に傷を残しかねない。それならばと、五徳の「告げ口」で怒った信長が、二人の処刑を「強要」したという話に作り変えてしまったのかもしれない。

家中の対立と分裂を背景にする大岡弥四郎という家臣の裏切りを、「大賀弥四郎」が個人的な恨みから敵に寝返ったという事件に「矮小化」したことと、つながってくる話ではないだろうか。

安田清人/1968年、福島県生まれ。明治大学文学部史学地理学科で日本中世史を専攻。月刊『歴史読本』(新人物往来社)などの編集に携わり、現在は「三猿舎」代表。歴史関連編集・執筆・監修などを手掛けている。 北条義時研究の第一人者山本みなみさんの『史伝 北条義時』(小学館刊)をプロデュース。

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