ガラシャ~信仰に生きて

ところが皮肉なことに、たまへキリスト教の扉をひらいたのも、忠興だった。彼は、キリシタン大名として名高い高山右近(1552~1615)から、教義について話を聞き、それを妻に伝えたという。

少しだけ話が逸れることをお許しいただきたいが、筆者はこの経緯を知って、「会話のある夫婦だったのだな」という感慨をおぼえた。たまと忠興の結婚はひたすら不幸であったように思われがちだが、男女3人ずつの子にもめぐまれ(最後の女児は、死の2年前、36歳で出産)、こうしてふつうの遣りとりも存在していたのだ。夫婦という関係は、やはり一面だけでは推し量れぬものである。

さて、忠興からすれば話題のひとつに過ぎなかったのかもしれぬが、たまの胸にはキリスト教の存在が深くきざまれることとなった。満たされぬ生活をおくる者が宗教に救いをもとめるのはいつの世にも見られることだから、彼女の心理は共感しやすいものと言えるだろう。

ついにたまは、夫が九州征伐(1587)に従軍している折を衝いて大坂屋敷を脱け出し、教会をおとずれる。宣教師から教えを受けた彼女はいっそうキリスト教に傾倒し、洗礼をのぞむが、前述のように外出もままならぬ身である。一計を案じ、まず侍女の清原いと(マリア。細川家の親類すじにあたる)が洗礼を受け、彼女を介して受洗するという方法をとった。ここでたまは、神の恩寵を意味する「ガラシャ」という名を与えられたのである。

だが、これに先立ち、バテレン(宣教師)追放令が発せられていた。キリスト教徒にとっては厳しい時代がおとずれたことになる。秀吉をはばかった忠興は妻に改宗を迫るが、ようやく手にいれた魂のよりどころをガラシャが手放すはずもない。これもまた、夫婦の仲に冷たいものを広げる一因となったことだろう。

歴史を動かしたガラシャの死

洗礼を受けたあと、13年にわたってガラシャには目立った事績がのこっていない。おそらく信仰をささえに、ひっそり日々を過ごしていたと思われる。

ふたたび彼女が歴史の表舞台にあらわれるのは、秀吉没後の1600(慶長5)年7月。徳川家康と対立する石田三成が、会津・上杉氏討伐の隙をついて兵を挙げた折である。三成は大坂にのこされた諸大名の妻子を人質に取ろうと考え、手はじめに細川屋敷を囲ませる。が、これは想定内の蜂起だったらしい。家康にしたがい出陣するにあたり、忠興は人質とならぬよう妻に言い含めていたという。

「人質にならない」とは、石田方が引き下がらぬかぎり、ガラシャの死を意味する。忠興の命令は苛烈とも思えるが、彼はもともと三成と対立しており、家康側へ付くことに迷いはなかったろう。こうした場合、妻や子を見捨てるのは戦国武士の決断としてありうることで、これを以て彼を責めるのは酷というものである。

石田方は力ずくでガラシャを拉致しようとしたが、彼女の覚悟はとうに定まっていた。あるいは本能寺以来、死すべきときを探していたのかもしれぬ。「散りぬべき時しりてこそ世の中の 花も花なれ人も人なれ」(散るべきときを知っていてこその花であり、人である)という辞世の歌が、その決意をただよわせている。

キリシタンは自害を禁じられているから、家臣に胸を突かせたとも、介錯させたともいわれる最期を遂げた。三成にとっては予想外の反応だったと見え、諸大名の妻子を人質にとる策は放棄してしまう。いっぽう、ガラシャの死によって家康方の結束は強まったから、これが関ヶ原の勝因とまでいうつもりはないが、彼女が歴史の一局面を動かしたことも間違いない。

ガラシャの死は宣教師たちによって海の向こうへ伝えられ、ほぼ100年ののち、歌劇となってハプスブルク皇帝のまえで上演された。また19世紀には、キリスト教徒の範たる女性12人のひとりとして書物で紹介され、ドイツやフランスで反響を呼んでいる。だからよかったとは微塵も思わぬが、悲劇的な生涯にもいくらかは報いがあったというべきだろう。

くだんの歌劇では、彼女の死によって暴虐な夫が悔い改めるというストーリーになっている。忠興とガラシャの夫婦関係についてはさまざまな見方があろうが、筆者としては、妻の死後45年の長きを生きた彼が、終生ガラシャ以外の正室を持たず、跡を継いだ忠利も彼女の所生であることは伝えておきたい気がするのである。

文/砂原浩太朗(すなはら・こうたろう)
小説家。1969年生まれ、兵庫県神戸市出身。早稲田大学第一文学部卒業。出版社勤務を経て、フリーのライター・編集・校正者に。2016年、「いのちがけ」で第2回「決戦!小説大賞」を受賞。2021年、『高瀬庄左衛門御留書』で第165回直木賞・第34回山本周五郎賞候補。また、同作で第9回野村胡堂文学賞・第15回舟橋聖一文学賞・第11回本屋が選ぶ時代小説大賞を受賞。2022年、『黛家の兄弟』で第35回山本周五郎賞を受賞。他の著書に『いのちがけ 加賀百万石の礎』、共著に『決戦!桶狭間』、『決戦!設楽原(したらがはら)』、 『Story for you』 (いずれも講談社)がある。『逆転の戦国史「天才」ではなかった信長、「叛臣」ではなかった光秀』 (小学館)が発売中。

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