●信長に もの申す光秀の新しさ
『利家とまつ』(2002年)は、反町隆史演じる信長を通して、「やさしさをはらんだ」「血の通った」信長像を打ち出すことに成功した。問題は明智光秀だ。信長が、そのような新しさをまとった信長である以上、近藤正臣演じる「悩める光秀像」以来の伝統(?)をなぞるような光秀では満足できない。説得力がない。
おそらく脚本の竹山洋も、光秀演じるショーケンこと萩原健一も、そう思ったのではないだろうか。もちろん、理知的・内向的・冷静沈着という光秀像は押さえておかなければ、歴史好きの視聴者は説得できない。そこで彼らが作り上げた光秀像は、信長に対し「引かず」「おびえず」「もの申す」光秀だった。
天正10年(1582)、強敵の武田氏を滅ぼした織田軍が、軍議を開く。その席上、武田の家臣だった優秀な武将たちをスカウトして召し抱えようとしている徳川家康を光秀が批判する。
「武田の軍勢は一兵残らず、根絶やしにしなければならない。武田を滅ぼすまでの、われらの苦労は並大抵ではなかった。われわれが、武田にどれだけ苦しめられたか!」
これを聞いていた信長、顔色が変わる。
「光秀! そちがどのような苦労をしたというのだ。申してみよ」
「はっ、私は、その……」
「天下布武のため、そちがしたことは何か、申せ!」
席を立って扇子を床にたたきつける信長。光秀を蹴り倒す!
まさに「ガクブル」な状況だ。光秀、恐れおののき詫びを入れるか……。
いや、「ショーケン光秀」、体勢を立て直し、信長の目をじっと見据えて返答します。
「足利義昭様をお迎えし、御屋形様のご上洛をお手伝いし、また畿内を安定させ、丹波も御屋形様にお収めしましたっ」
「そちがしたこと」を聞かれて、ちゃんと答えてしまっている。しかも理路線然と。
感情的になっている上司に、理屈で返しても逆効果。まずは辞を低くして上司の怒りのスイッチがどこにあるのかを見極めるべし、という「サラリーマン処世術」を知らんのか、光秀。
当然、信長の怒りに油を注ぐ。
「恩着せがましい!」
光秀の首根っこをつかんで床に押し付ける信長、秀吉の中国地方での活躍ぶりを例に挙げて、光秀を難詰。「たとえ一言でも、自分が苦労したなどというな!」。間髪を入れず顔面パンチをお見舞いする。
光秀、絶体絶命。しかし、すっかり目が座っている「ショーケン光秀」、憤然として言い返す。
「恐れながら申し上げます! 天下人が、このようなお振舞いをなされてはなりません。これこそ、御屋形様が仰せになられる天の道、天道にかなわぬお振舞いかと存じ上げます!」
凍り付く織田家臣一同。憤怒の形相に困惑の色が浮かぶ信長、しばし間をおくと踵を返して部屋から出て行ってしまった。
あろうことか「ショーケン光秀」、信長を論破してしまったではないか。
怒りをあらわにする「血の通った」信長よりも、感情を排した冷たい目で見つめ返す光秀の方が、明らかに狂気をはらんでいて「怖い」のだ。そのコントラストが、のちの本能寺の変を予感させていることは言うまでもない。
新しい信長像に見合う、新しい光秀像を作ろうという製作スタッフの明確な演出プランがなければ、もしかすると「ショーケン光秀」は単なる奇矯な光秀になっていたかもしれない。同時に、信長に一歩も引かずに「もの申す」光秀は、萩原健一という俳優の独特のキャラがあって成立したものでもあるだろう。そのショーケンは、2019年3月に亡くなった。実に惜しい。
『利家とまつ』が打ち出した信長と光秀は、歴史上の人物を「新たな解釈」で描くためには何が必要かを、示唆してくれているような気がする。
イラスト/和田聡美
安田清人/1968年、福島県生まれ。明治大学文学部史学地理学科で日本中世史を専攻。月刊『歴史読本』(新人物往来社)などの編集に携わり、現在は「三猿舎」代表。歴史関連編集・執筆・監修などを手掛けている。