文/印南敦史

京都府北部の京丹後市といえば、「長寿のまち」として有名だ。
2011年に「存命中の男性長寿世界一」としてギネスワールドレコーズから認定された木村次郎右衛門氏(2013年6月12日没、116歳)が、一生涯の大半を過ごされた地域である。
市が2024年9月に発表した報道資料によると、市内には9月1日時点で満100歳以上の方が115人いらっしゃるのだという。人口10万人あたりの百寿者(100歳以上の人)は228.49人で、全国平均の約3倍だというのだから驚きだ。
しかも重要なのは、単に寿命が長いだけでなく「健康寿命」の長い方が多いという点である。事実、『奇跡の100歳長寿地域「京丹後市」の秘密』(百寿者研究会 著、文春新書)の冒頭で、京都府立医科大学大学院 循環器腎臓内科教授の的場聖明氏は次のように述べている。
京丹後市における血管年齢は、男女とも全国平均を10歳ほど下回ることがわかり、現在その原因として、腸内細菌以外に、全身の炎症や代謝の関与が考えられ、研究が続いています。(本書「はじめに 京都府丹後地域には、なぜ長寿者が多いのか」より)
食事、生活習慣、地域コミュニティのあり方、さらにはいまだ未解明なことがらの複合的な結果として、この地域の健康長寿は成り立っているのだろう。
そこで本書では、百寿者たちの方々の談話を紹介し、そのなかから「百寿者となるための秘訣」、とりわけ具体的な食生活について探っているのである。
京丹後市による百寿者への聞き取り調査をまとめた4冊のブックレットを再編集したものなので、登場する百寿者の大半はすでに鬼籍に入られているようだが、それでも重要な資料であることは間違いない。
ここではそのなかから、上述の木村次郎右衛門さんについての項目をご紹介したい。
木村さんは、第1回オリンピックが開かれた翌年の1897(明治30)年4月19日生まれ。20歳から65歳までの45年間にわたり、地元の郵便局に定年まで勤め、90歳過ぎまで農業を続けた。2013年6月の時点で、子7人(5人が存命)、孫14人、ひ孫25人、玄孫15人。2013年6月12日逝去。
木村さんの人生訓は以下のとおりだ。
「食細くして、命永かれ」
「苦にするな、嵐のあとに日和あり」
「明日ありと思う心のあだ桜、夜半に嵐の吹かぬものかは」
「不言実行」
「日々これ好日」
「感謝の気持ち」
(本書16ページより)
すべてを天に任せ、一日一日を大切に過ごし、前向きでなにごとにも意欲的だったという。また、訪れる人にいつも両手を合わせ、「ありがとう」「サンキュー・ベリー・マッチ」と感謝の気持ちを伝えたのだそうだ。
「辛いこと苦しいことの後には、必ず良いことがあります。そう思って生きてきました。日露戦争から第二次世界大戦、辛かったことはきりがありませんが、今、幸せだったといえるのは、苦しいことがあっても日和は必ず来たからだ、と思っています」(本書17ページより)
木村さんが大切にしていたことは3つあった。
まず最初は「体を動かす」こと。畑仕事はもちろん、近所を散歩したり、寝転んで空中自転車こぎ体操をするなど、体を動かすことを心がけていたというのだ。「日課の腹筋運動。これも長寿の秘訣ですな」
次は、「社会に関心を持つ」こと。新聞を読んだり、国会中継や相撲を楽しみながら、「社会に遅れない」ことを心がけておられた。そして3つ目は、上記の「感謝の気持ち」だ。
人生訓も大切にしていたことも、いたって“普通”であることがわかる。しかし特別ななにかをすることよりも、当たり前のことを当たり前にすることこそが重要なのだろう。
* * *
もちろん程度の差はあるかもしれないが、それでも60歳あたりを境として「あと何年生きられるのだろうか」というような思いは強くなっていくものである。もちろん私も同じで、仕方がないことなんだろうなと感じていたのだが、本書と出会って少し気持ちが変化した。
大切なのは「あと何年生きられるか」ではなく、「残りの人生をいかに楽しく生きるのか」なのだと。

百寿者研究会 著
990円
文春新書
文/印南敦史 作家、書評家、編集者。株式会社アンビエンス代表取締役。1962年東京生まれ。音楽雑誌の編集長を経て独立。複数のウェブ媒体で書評欄を担当。著書に『遅読家のための読書術』(ダイヤモンド社)、『プロ書評家が教える 伝わる文章を書く技術』(KADOKAWA)、『世界一やさしい読書習慣定着メソッド』(大和書房)、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』『読んでも読んでも忘れてしまう人のための読書術』(星海社新書)、『書評の仕事』(ワニブックスPLUS新書)などがある。新刊は『「書くのが苦手」な人のための文章術』( PHP研究所)。2020年6月、「日本一ネット」から「書評執筆数日本一」と認定される。
