決して贅沢ではないが、好きな“おこげ”と“おかず味噌汁”で調えるブランチ。自分流を貫くのが、衰えぬ美声の源だ。
【中西雅世さんの定番・朝めし自慢】
昭和39年の東京オリンピック。その時の聖火台は、埼玉県川口市の鋳物師により製造されたことはあまりにも有名だ。
「戦後から昭和40年代初めまでは、川口市は鋳物の町として隆盛を極め、実家はその川口で、裕福な鋳物師の奥様方をお客様に呉服商を営んでおりました」
昭和31年、その呉服商の“お嬢”として、さいたま市に生まれた。幼少の頃から音楽が好きだった。5歳からピアノを習い、漫画の科白を歌にしたり、童謡に勝手に伴奏をつけたりする少女だった。地元の小・中学校を卒業し、高校は荒川を越えたいと、東京のお茶の水女子大学付属高校に進む。
高校時代にヤマハ・ポピュラーソング・コンテストに出場。ギターを弾きながら、フォークソングを歌った。そのクリアな歌声が評判となり、本格的な音楽活動を始める。その後、ロックに転向し、ベースとヴォーカルを担当。やっとジャズに目覚めたのは、一橋大学に入学して間もなくの頃だ。
「アン・バートンやエラ・フィッツジェラルドを聴いて、“これだ!”と思った。理論・編曲・ジャズピアノを独学で学びました」
一方、コーラスに魅かれてコーラスグループを結成。テレビの歌番組や小泉今日子らのバックコーラスに参加もしたが、今はジャズシンガーとしてライブが中心だ。
具だくさんの“おかず味噌汁”
ジャズシンガーは、食べることも飲むことも大好きだが、
「朝食の習慣はなくて、第1食目は10時頃に摂るブランチですね」
その献立に欠かせないのが、具だくさんの“おかず味噌汁”だ。時には卵を落とすこともある。
ステージがある日は、その前に現場近くの店で軽く麵類などで腹ごしらえ。夕食は外食で、お酒と酒肴程度。炭水化物を摂ることはない。ステージがない日は、酒肴を手作りするのが楽しみだ。
「食いしん坊で飲兵衛だから、外食で美味しいと思ったら即、試してみるのが私の主義。自家製なめたけも、こうして作るようになったんですよ」
シンガーだからといって、特段、喉をいたわるわけでもない。ストレスのない自然体が、艶やかで伸びやかな歌声を生むのであろう。
ソロとデュオで活動。歌うことが、生きるということ
ソロ活動と並行して、平成17年には西高志さんとデュオ・ヴォーカル・ユニット「AIR(エアー)」を結成した。日本の「ジャッキー・アンド・ロイ」と称され、すでに4枚のアルバムを発表。同25年、ジャズサイトの草分け『Jazz Page』の人気投票で、ヴォーカル部門第2位を受賞してもいる。
「AIRのレパートリーは、スタンダード・ナンバーを中心に200曲余り。ライブ前のふたりでの練習は1日数時間にも及びます」
それだけではない。バックバンドでピアノを弾くこともあれば、個人指導の生徒が10人余りいる。
「40代~70代の男性が中心ですが、ジャズを聴くのが好きな人や、若い時に歌っていた人もいる。歌うことにより姿勢がよくなり、代謝もよくなって、元気になる人が多い。私の指導の第一は、笑いながら歌うこと。笑うことにより口角が上がり、頭蓋骨が上がって音を響かせることができるのです」
楽しい時はもちろん、哀しい時も落ち込んだ時も、歌うことは止めなかった。60代半ばになった今、歌うことが、自分の“生き方”そのものだという。
取材・文/出井邦子 撮影/馬場 隆
※この記事は『サライ』本誌2020年11月号より転載しました。