季節によって、主食のそば粉が七変化。“3S”を原則に、地産地消の食材で自ら調える朝食が、衰えぬ好奇心の源泉だ。
【成田重行さんの定番・朝めし自慢】
江戸時代中期、秋ともなれば内藤新宿(現東京・新宿御苑を中心とした地域)辺りは“内藤とうがらし”で真っ赤な絨毯を敷き詰めたようだったという。だが、明治以降の都市化に伴い、そのとうがらし畑が消滅する。
この内藤とうがらしを現代に復活させた人がいる。地域開発プロデューサーの成田重行さんである。
「15年ほど前、新宿の活性化を依頼されたのが始まり。文献を読み進むうちに、かつて栽培されていた内藤とうがらしの力を借りて、新宿区の住民に自分の町に誇りをもってもらおうと考えたのです」
区民からも復活栽培の声が上がり、平成22年には「内藤とうがらしプロジェクト」が発足。料理教室を始め、デパートや有名店と協力して、その加工品も次々と開発・販売されるようになった。
大学卒業後、立石電機(現・オムロン)に入社し、国内外を東奔西走する多忙な日々を送った。役員にまで昇りつめたが、60歳の定年で潔く退社。人生の後半戦は、オムロン時代のグローバルとは正反対の、ローカルに目を向けようと決めていたからだ。
そこで取り組んだのが、“食”をテーマとした小さな町や村の地域おこしだ。これまで岐阜県南飛騨保養地開発や三重県熊野古道尾鷲地区開発など、全国30か所の活性化支援を行なってきた。
朝食3原則
朝が早いので、オムロン時代から朝食は自分で作るのが習慣だ。
「今も朝6時には家を出て、7時に出社。朝食は事務所で作ります。時には社員にも振る舞いますよ」
その朝食は3原則を守る。ひとつ目は“3S”で、作る時間はスピーディ、内容はシンプル、自分で作るセルフ。ふたつ目は医食同源。つまり命は食にあり、その時季に体が欲するものを食すこと。3つ目は自身のテーマである食材、そば・中国茶・内藤とうがらしを使うこと。趣味のそばや中国茶、また地域おこしの内藤とうがらしの本も出しているほどだ。
主食はそば粉だが、春にはガレット、夏はスープ、秋には切りそば、冬はそばの実雑炊と七変化。これに地産地消の野菜と動物性蛋白質を添えれば、3原則を満たす申し分のない朝食だ。
グローバルからローカルへ、今後も地域を見つめ続けたい
40代でそば打ち、50代で中国茶を極めた。いずれも現役として最も忙しい時期である。
「オムロンの京都本社隣が禅寺の妙心寺でした。30代で僧侶と親しくなり、彼らの生活に興味をもったのがきっかけ。そばは僧侶の身近にあったし、茶も禅僧が中国から日本に伝えたものですからね」
興味が湧いたら、とことん追求するのが成田流。そばサロンや中国茶サロンを主宰し、NHKの講師を務めるまでになった。
「リタイアしてから趣味に打ち込むのでは遅い。個の充実があってこそ、企業にも貢献できる。私は現役時代から“ワーク・ライフ・バランス”を実践してきました」
ライフワークのそば、中国茶、内藤とうがらしの中でも、そばととうがらしは地域おこしにもひと役買っている。とうがらしを練り込んだそばが開発されているし、前述したように、とうがらしを使った加工品も全国に続々と登場。
コロナ禍でグローバル化の是非が問われる現代、これからはグローバルからローカルへ。世界を舞台に仕事をしてきた人だからこそ、見える景色であろう。
取材・文/出井邦子 撮影/馬場隆
※この記事は『サライ』本誌2020年9月号より転載しました。年齢・肩書き等は掲載当時のものです。