文 /小林幸子
小林幸子の「幸」を招くルール
ファン歴50年以上の方はもとより、若者やネットユーザーからも「ラスボス」と称され、幅広い層に圧倒的な人気を持つ小林幸子さん。
小林さんの「今が楽しい、自分らしい人生」をおくるための秘訣とは?
齢を重ねるたび、元気と勇気、パワーを増し続ける、ラスボス流「言葉の魔法」を初披露!
ラスボス式「人の惹きつけ方」
知識やテクニックだけじゃない。大切なのは“志”が立派かどうか。次々と未知の世界の扉を開けて新たなことに挑む、その原動力はどこにあるのか。そして、進化を重ね続ける秘訣とは?
ルール08
誕生日になると、ありがたいことに皆さんからいろんなプレゼントをいただくのですが、中でも嬉しかったのは、佐々木健介&北斗晶夫妻から届いた黄色のストールです。
この時、北斗ちゃんは、乳がんで右乳房全摘出手術を受けたことを明らかにしたばかりでした。どれだけ不安だったことでしょう。苦しかったことでしょう。でもそんな時に、他人に対して心配りをする。
北斗ちゃんに大事なことを教わった気がしました。
きっと、苦しい時こそ強がってみせる、ということだと思うんです。
周囲に弱音を吐いたからって、何かいいことがあるわけではありません。人は、弱っている人には近づいてきませんから。
自分が大変な時にもかかわらず、明るく振る舞い、相手を気遣うことのできる北斗ちゃん夫婦のところには、やはり自然と人が集まってきます。
私も、北斗ちゃんが抗がん剤治療をすると聞いて、どうしても顔が見たくなりました。差し入れ代わりに、温めればすぐに食べられる食材を買い込んで、自宅に押しかけたんです。
北斗ちゃん以上に、健介さんが憔悴していました。痩せ細って、顔が半分くらいの大きさになってしまった印象を受けました。「ダイエットできていいですよ」と健介さんも強がっていましたが。
夫妻と仲良くなったのは、ひょんなことがきっかけ。北斗ちゃんがバラエティに出始めの頃、たまたま番組で一緒になりました。
他の出演者の楽屋を回って挨拶したそうですが、私だけ反応が違ったとのことです。
「北斗晶です! 本日、よろしくお願いします!」と大きな声で挨拶しても、皆そっけない態度だったそうです。
ところが私は、「はい」と立ち上がり、北斗ちゃんのほうに近づいて、「わざわざどうも」と応じた。
北斗ちゃん、それにいたく感激したらしく……。
それ以来、北斗ちゃんも共演者が楽屋に挨拶に来たら、立ち上がって応じるように心がけているんだとか。
些細なことだけど、私のマネをしてくれたのかしら(笑)。
引退試合で『川の流れのように』を披露
健介さんは、2014年2月にプロレスラーを引退しているのですが、実は引退試合をしないまま急にやめてしまった。
これには北斗ちゃんも残念がっていて、「区切りだけはつけさせてあげたい」ということで、同じ年の4月に引退記念パーティーを開催することになったんです。
北斗ちゃんから電話がありました。
「幸子さん、健介は美空ひばりさんの『川の流れのように』が大好きなんです。それで最後の花道、健介がバンっと出て来た時に、自分の好きな歌が流れたらどんなに嬉しいかと思って……。『簡単に言わないでよ』と、断わられるのを覚悟でお願いします。この歌をどうしても幸子さんに歌ってほしいんです」
私は間髪入れず「OK!」と……。電話の向こうで泣きじゃくっていた北斗ちゃんの声……今も鮮明に耳に残っています。
どんな時も気配りができる北斗ちゃんの頼み。引き受けないわけがありません。こういう後輩だからこそ、こちらも特別に気を配ってあげたくなりますよね。
でも北斗ちゃん、あの日から、こんなことを口にするんです。
「私たち夫婦は、幸子さんのためなら命がけで何でもやりますよ!」
参ったなァ……。でも、うれしい!
一、丁寧な挨拶のやりとりだけでも人間関係は深まる
一、強がっている後輩には特別に気を配ってあげる
小林幸子(こばやしさちこ)
1953年、新潟県生まれ。64年、『ウソツキ鴎』で歌手デビュー。その後、長く低迷期が続いたが、79年、『おもいで酒』が200万枚を超える大ヒットとなり、日本レコード大賞最優秀歌唱賞をはじめ数々の賞を受賞。同年、NHK紅白歌合戦に初出場。以来、34回出場し、その「豪華衣装」が大晦日の風物詩と謳われる。近年は、若者やネットユーザーの間で、「ラスボス」と称されるようになり、ニコニコ動画への「ボカロ曲」の投稿やアニメ『ポケットモンスター』の主題歌を歌うなどして、“神曲”を連発している。
ラスボスの伝言
~小林幸子の「幸」を招く20のルール~