文 /小林幸子
小林幸子の「幸」を招くルール
ファン歴50年以上の方はもとより、若者やネットユーザーからも「ラスボス」と称され、幅広い層に圧倒的な人気を持つ小林幸子さん。
小林さんの「今が楽しい、自分らしい人生」をおくるための秘訣とは?
齢を重ねるたび、元気と勇気、パワーを増し続ける、ラスボス流「言葉の魔法」を初披露!
ラスボスの「仕事の流儀」
知識やテクニックだけじゃない。大切なのは“志”が立派かどうか。次々と未知の世界の扉を開けて新たなことに挑む、その原動力はどこにあるのか。そして、進化を重ね続ける秘訣とは?
ルール03
本当にたくさんの方々に支えられて“今の私”がありますが、「紅白の衣裳」の大恩人は、先代の市川猿之助さん(現・二代目市川猿翁)です。
「三代目市川猿之助」といえば、「スーパー歌舞伎」。
観たとたん、これぞエンターテインメントという素晴らしい舞台で、もう大感激! その感動のまま、伝手を頼って楽屋にご挨拶に伺いました。
「感動しました! 私もスーパー歌舞伎のような衣裳を着たいのですが、マネしてもよろしいですか? 十八番の宙乗りもやらせていただきたいんです!」
興奮のあまり、思わず口にしていました。
さすがに、これは「やっちまった……」と、すぐに自責の念にかられました。手間と時間をかけて、創り上げた舞台演出を、軽々しくマネさせろなんて、簡単に許可されるはずがありません。
当然、断られると思っていたその瞬間、猿之助さんが優しくひと言。
「よろしいですよ」
それだけでなく、スーパー歌舞伎のコスチュームデザイナーの方まで紹介していただきました。
1989年、紅白で『福寿草』を歌った時に、「21世紀の天女」と題した衣装を身につけました。金銀をあしらったゴージャスな衣装なのですが、あのモデルは西太后。スーパー歌舞伎のデザイナーに参加していただいて作った、初めての衣装です。
そして、1991年の紅白の『冬化粧』では、猿之助さんのような、ワイヤーでの空中浮揚にも挑戦しました。
私の「型」は10歳から歌う「演歌」
以来、ずっと親しくさせていただいていて、猿之助さんからは宝物のようなアドバイスをたくさん頂戴しました。
そのひとつが、「型」に関してのこと。お食事をご一緒させていただいた時のことです。
「幸子さん、型破りってどういうことかわかりますか?」
と突然聞かれました。
「型破りという言葉を聞くと、誰もやったことがない破天荒なものを考えてしまうかもしれませんが、それは違います。
歌舞伎の長い歴史の中には、澤瀉屋や中村屋、いろんな家の芸の型があります。たとえば同じ『勧進帳』でも、見得の切り方が家によって違う。
自分の家が代々守ってきた型を全部わかった上で、新しいことを果敢にやるのが“型破り”。きちんとした型を知らずにやるのは“型なし”っていうんですよ」
私の「型」は何だろう?
それはきっと、10歳から歌い続けてきた「演歌」でしょう。
この基本を大切にしなさいよ。猿之助さんからそう言われたような気がしました。
「演歌」といういつでも戻ることのできる基本(=型)さえ、しっかりしていれば、どんなパフォーマンスにだって挑戦していい。
何もこれは芸の世界にだけ当てはまる話ではなく、どんな仕事だって同じだと思います。
まずは基本をきちんと身につける。その大切さを改めて教えていただきました。
一、きちんとした型を知らずにやるのは「型なし」
一、型がしっかりしていれば何だって挑戦していい
小林幸子(こばやしさちこ)
1953年、新潟県生まれ。64年、『ウソツキ鴎』で歌手デビュー。その後、長く低迷期が続いたが、79年、『おもいで酒』が200万枚を超える大ヒットとなり、日本レコード大賞最優秀歌唱賞をはじめ数々の賞を受賞。同年、NHK紅白歌合戦に初出場。以来、34回出場し、その「豪華衣装」が大晦日の風物詩と謳われる。近年は、若者やネットユーザーの間で、「ラスボス」と称されるようになり、ニコニコ動画への「ボカロ曲」の投稿やアニメ『ポケットモンスター』の主題歌を歌うなどして、“神曲”を連発している。
ラスボスの伝言
~小林幸子の「幸」を招く20のルール~