日本全国には大小1,500の酒蔵があるといわれています。しかも、ひとつの酒蔵で醸(かも)すお酒は種類がいくつもあるので、自分好みの銘柄に巡り会うのは至難のわざです。
そこで、「美味しいお酒のある生活」を提唱し、感動と発見のあるお酒の飲み方を提案している大阪・高槻市の酒販店『白菊屋』店長・藤本一路さんに、各地の蔵元を訪ね歩いて出会った有名無名の日本酒の中から、季節に合ったおすすめの1本を選んでもらいました。
【今宵の一献】白藤酒造店『「奥能登の白菊 本醸造」』
日本酒がお米から出来ていることは、誰もが承知しています。なのに、わざわざ「純米」と表記するお酒があるのはなぜでしょうか。純米じゃない日本酒があるということなのでしょうか。
お酒のラベルの端に書いてある“原材料表示”を見ていただくと「米・米こうじ」もしくは「米・米こうじ・醸造アルコール」と表記された2つのタイプがあることがわかりますが――後者の「醸造アルコール」が添加されているお酒は「純米」とは呼べません。
この「醸造アルコール」とは何でしょうか。日本酒のファンの方でも、醸造アルコールを正しく理解されている方は案外少ないようで、むしろ悪者扱いされる方が多く見受けられます。ひどい場合は、工業用メチルアルコールと同じとみなして、目の敵にされている方もときにいらっしゃいます。
でも、それは少し誤解があります。醸造アルコールの原料は、サトウキビから砂糖をつくるために精製する過程で出来る茶褐色の「廃糖蜜(はいとうみつ)」という粘性の液体です。サトウキビ由来のミネラルや糖分を含んでいて、欧米では「モラセス」という名で、そのままパンに塗って食べたりする食品です。
この廃糖蜜を発酵させて何度か蒸留すると、約96度のピュアなアルコールができます。これが「醸造アルコール」です。
スーパーの店頭でよく見かける大容量の甲類焼酎や梅酒用のホワイトリカー、無色透明のホワイトラムなどは、醸造アルコールの度数を変えただけで、じつはまったく同じものです。醸造アルコールは、酢や味醂(みりん)、醤油にも入っています。日本酒に入っている醸造アルコールだけが悪の汚名を着せられるいわれは全くないことは、わかっていただけたと思います。
いわゆる吟醸と呼ばれるような、酒米をより小さく磨き、雑味を除いて醸した高品質のお酒にも醸造アルコールは使われています。それが吟醸酒・大吟醸酒で、醸造アルコールを加えないお酒が純米吟醸・純米大吟醸酒と表記されているわけです。
でも、なぜ日本酒に醸造アルコールをわざわざ加えるのでしょうか。その理由は、醸造アルコールの良い作用にあります。
じつは醸造アルコールには、日本酒を白濁させ腐敗させるもとになる“火落ち菌”と呼ばれる乳酸菌の一種が増殖するのを抑制する働きがあるのです。また、味覚的には、純米だと重くなりがちなお酒の味わいを、醸造アルコールを少量加えることで、より軽快にして、香りを引き立ててくれます。
今宵ご紹介する一献は『奥能登の白菊 本醸造』という日本酒です。原料米の精白率3割以上(=精米歩合70%以下)、醸造アルコールを添加した「本醸造酒」に分類される酒です。
『奥能登の白菊』の造り酒屋「白藤酒造店(はくとうしゅぞうてん)」は、輪島塗で全国に名が高い石川県は能登半島の北に位置する輪島市に9代を重ねる蔵元です。輪島の町は、中世の昔から日本を代表する湊(みなと)のひとつで、江戸期は北前船の重要な寄港地でした。
日本海における海運の重要拠点として、各地から運び込まれた原材料を様々に加工、また海を通じて各地へ輸送することで大いに栄えた歴史を持つ奥能登の中核地です。
白藤酒造店の初代・白壁屋孫八郎は廻船問屋を創業。船で様々な物資を各地へ運ぶ海運業から、後に質屋を経て、酒造業を始めたのは江戸時代末のこと。酒の名を「白菊」としたのは、旧暦9月9日の重陽(ちょうよう)の菊の節句に厄除けの効用ありと珍重された“菊酒”にあやかってのことで、そこに自身の白壁屋の“白”を冠したのだそうです。
いま、白藤酒造店は、ご家族で営むごく小さな蔵元です。
造り酒屋の成立ちを聞けば、代々、利に聡い商人の血が流れていそうに思えますが、私の知るかぎり、当9代目蔵元の白藤喜一(はくとう・きいち)さんには商売っ気はいい意味で微塵もない、寡黙な方です。今は一線を退いている8代目の白藤洋一(はくとう・よういち)さんも、また然りです。
その代わり、8代目・9代目の奥様がじつに笑顔の素敵な、すこぶる明るい人という共通項をお持ちです。ふたりの奥様の内助の功は、むしろ“外助の功”とでもいったほうがしっくりくるほどです。とりわけ先代・洋一さんの奥様、当代・喜一さんのお母さんの妙子(たえこ)さんは蔵を訪れるお客様や私たち取引先の者にいつも元気いっぱいの対応をしてくださいます。
みなさんの記憶にも残っているかも知れませんが、2007年3月25日に起こったマグニチュード6・9の能登半島地震によって、白藤酒造店の古き良き趣のある蔵が半壊。搾(しぼ)ったばかりの酒のタンクも割れるという事態に見舞われて、それは酷い状態だったといいます。
当時のお酒の製造石数は100石、一升瓶換算にして1万本ちょっというごく小さな蔵です。余裕のある経営状態ではありません。地震の惨状を目の当たりにしたときは、さすがに廃業することも考えたそうです。
地震が起こったのは、9代目喜一さんに、東北の酒蔵に勤めていた暁子(あきこ)さんが嫁いできたばかりのとき。やはり、江戸期から長く続いた蔵を失くすのはしのびない。小さな家族は「もう1回頑張ろう」と結束、新たな借金を背負って蔵を再建、背水の陣で酒造りに臨んできたのです。
その甲斐あって、往時の石数を回復、今では250石まで製造量を伸ばすところまできたのだそうです。
そんな家族の物語を背負ったお酒『奥能登の白菊』の味わいは、すべてに一貫して穏やかな旨みと、ホッとするような甘さが心地よい癒し酒です。
白藤酒造店は昔も今も変わらず優しく、べたつかない甘口のお酒を造り続けてきました。
ここ数年は、甘口のお酒もずいぶん見直され始めてきていますが、世間の風潮として辛口以外の酒は売りづらい状況がありましたので、甘口の酒づくりを身上とする蔵元にとっては厳しい時代が長かったかも知れませんね。
今回の『奥能登の白菊 本醸造』も地元で飲まれるのが主で、県外へはあまり出荷されてはいないようです。純米や純米吟醸に比べると、洗練さには欠けますが、「本醸造」であっても造りには一切手を抜かず『奥能登の白菊』の名をほうふつさせる、やわらかく落ち着いた甘みが感じられます。
なにより、リーズナブルで気取らずに飲めるお酒です。管理も常温でOKです。料理との相性も難しく考えなくて済む、晩酌のお酒としてはとても使い勝手がよく、日々の疲れを癒してくれるお酒として重宝します。
とくに「燗酒」として素晴らしいパフォーマンスを発揮してくれますので、これからの時期におススメです。
さて今回の『奥能登の白菊 本醸造』に、堂島「雪花菜(きらず)」の間瀬達郎さんはどんな酒肴を合わせてくれたのでしょうか。
出てきた料理は「秋鮭と甘湯葉の焼き物」です。
湯葉といえば、豆乳を温めた際、表面にうすく張る膜を掬いあげたものですが、「甘湯葉」は何度か掬い上げた後の煮詰まった豆乳からできる湯葉のことです。色も濃く繊細には欠けますが、肉厚で大豆の旨みがしっかり詰まっています。牛乳を加えたダシで甘湯葉を炊いて、その残り汁でシメジやエノキダケを軽く湯通し、少量の白味噌を加えてベシャメルソースをつなぎとしたものを秋鮭にかけて焼いています。
間瀬さんは今宵の酒『奥能登の白菊』に「豆っぽさを感じて、シチューにも合うお酒だ」と思ったのだそうです。見た目の割には、完全に和のテイストで、そこに『奥能登の白菊 本醸造』のヌル燗を口に流し込んでみます。
これ、「ヌル燗」というよりも、いったん55℃あたりまで上げてから40℃まで落としてもらった「燗冷まし」なのですが――大豆の甘みにも似た『奥能登の白菊』の優しいクリーミイーな甘さが、甘湯葉とベシャメルソースに絶妙な相性をみせました!
むしろ、秋鮭や筋子のほうが脇役と言ってもいいでしょうか。
じつは、このお酒の温度も重要で、熱めの燗ではこれほどの口中のハーモニーは感じ取れないのです。相乗効果という、相性の妙をまざまざと実感しつつ、秋の夜長を延々と飲んでいたい気持ちになりました。
昔も今も地元の人に愛される『奥能登の白菊 本醸造』、ゆるやかに時間が流れる港町・輪島で、能登の魚醤「いしる」を使った煮物をアテに、純米でも大吟醸でもなく、土地の人々の日常に触れる本醸造酒をヌル燗でゆるゆると飲む幸せ。もし能登へ旅する機会がありましたら、ぜひお試しを――。
文/藤本一路(ふじもと・いちろ)
酒販店『白菊屋』(大阪高槻市)取締役店長。日本酒・本格焼酎を軸にワインからベルギービールまでを厳選吟味。飲食店にはお酒のメニューのみならず、食材・器・インテリアまでの相談に応じて情報提供を行なっている。
■白菊屋
住所/大阪府高槻市柳川町2-3-2
TEL/072-696-0739
営業時間/9時~20時
定休日/水曜
http://shiragikuya.com/
間瀬達郎(ませ・たつろう)
大阪『堂島雪花菜』店主。高級料亭や東京・銀座の寿司店での修業を経て独立。開店10周年を迎えた『堂島雪花菜』は、自慢の料理と吟味したお酒が愉しめる店として評判が高い。
■堂島雪花菜(どうじまきらず)
住所/大阪市北区堂島3-2-8
TEL/06-6450-0203
営業時間/11時30分~14時、17時30分~22時
定休日/日曜
アクセス/地下鉄四ツ橋線西梅田駅から徒歩約7分
構成/佐藤俊一