日本全国に大小1500の酒蔵があるといわれています。しかも、ひとつの酒蔵で醸(かも)す酒は種類がいくつもあるので、自分好みの銘柄に巡り会うのは至難のわざ。そこで、「美味しいお酒のある生活」を主題に、小さな感動と発見のあるお酒の飲み方を提案している大阪・高槻市の酒販店『白菊屋』店長・藤本一路さんに、各地の蔵元を訪ね歩いて出会った有名無名の日本酒の中から、季節に合ったお勧めの1本を選んでもらいました。
■高杉晋作ら幕末の志士と交流をもつ銘醸蔵
四国は讃岐の「こんぴらさん」の愛称で親しまれているのが、古くから海上交通の守り神として崇敬を集めてきた「金刀比羅宮(ことひらぐう)」です。江戸中期、その信仰は広く庶民の間に浸透、こんぴら参りの“講(こう)”が全国各地に組織されて大勢の人々が訪れるようになります。当時の人にとって、こんぴら参りは、伊勢神宮のおかげ参りや信州の善光寺参りと並ぶ、いわば生涯の夢にも似た憧れの旅ツアーでもあったのです。
毎年、5月のゴールデンウィークの声を聞く時節、こんぴらさんの参拝客でにぎわう香川県は琴平(ことひら)の地に、私も酒販店の仲間たちと出かけるのが、ここ15年来の恒例行事になっています。
もとより、最大の目的は、こんぴらさんが鎮座する象頭山(ぞうずさん)の東の麓に代を重ねる蔵元「丸尾本店」を訪ねることです。この蔵では地元の米と弘法大師にゆかりの満濃池(まんのういけ)の清冽(せいれつ)な伏流水を使って『悦・凱陣(よろこび・がいじん)』という名のお酒を醸(かも)しています。
丸尾本店は気骨ある酒づくりを貫く、知る人ぞ知る銘醸蔵です。そのお酒を語る前に、ぜひ触れておきたいことがあります。丸尾本店には、幕末の激動を生きた長州藩士の高杉晋作、桂小五郎ら勤王(きんのう/江戸末期に朝廷のために徳川幕府打倒を図った政治運動)の志士たちとの深い交流を物語る興味深い逸話が伝わっています。往時の当主・長谷川佐太郎は勤王の思想に共鳴、私財を投げ打って志士たちへの援助を終生続けた人物でした。
慶応元年(1865)、高杉晋作が探索の手を逃れて、徳川幕府の直轄地でもあった、ここ琴平の地に潜伏していた折には、その身柄を預かり匿(かくま)っています。客室の掛け軸の裏や居間の天井裏には、いざという時のための隠し部屋も設けられていました。実際、捕吏(ほり/罪人を捕らえる役人)が踏み込んできた時は、高杉を酒樽の中に隠してついに護り通したといいます。
また、一方で佐太郎は篤志家(とくしか)としても活躍します。元来、大きな川がない讃岐の地には、渇水に備える大小様々な「ため池」が設けられています。なかでも全国一の大きさを持つため池が弘法大師の伝説に彩られた満濃池です。
しかし、安政元年(1854)に満濃池が決壊して以降、農民は長く干ばつに泣くことになります。この堤防の大改修工事にも佐太郎は自ら巨額の私財を投じたのです。そんな佐太郎に番頭として仕え、酒蔵を実質的に切りまわしていたのが丸尾忠太、現在の丸尾本店4代目・丸尾忠興(まるお・ただおき)さんの曽祖父にあたる人でした。丸尾忠太は、跡継ぎが絶えた主人・長谷川佐太郎の遺志を汲(く)み、その気骨ある酒造りを今に受け継いだのです。
■多品種・少量生産に徹する酒造り
丸尾本店は家族で営む小さな蔵です。4代目の丸尾忠興さん自らが酒造りの杜氏(とうじ)をつとめています。規模は小さくても圧倒的な存在の確かさを感じさせる酒蔵です。普段、あまり日本酒を飲み慣れていないビギナーの方をも瞬時に虜(とりこ)にする不思議な魅力を持つお酒を毎年生み出しています。
醸(かも)すお酒は多品種少量生産に徹しています。ひとつひとつの仕込み量はきわめて小さく、かつ酒米や仕込み方の違うお酒を25種類ほども造っています。その中から、今回紹介したいのは『悦・凱陣 純米無濾過生原酒KU16』です。このお酒に冠された「KU16」は、原料の酒米の名前です。お酒造りに適していることで名高い、かの「山田錦」に香川県で栽培された地元の酒米「オオセト」を掛け合わせて誕生したものです。
“香川独自の酒米を”という意気込みのもと、香川大学が長年研究を続け、品種改良を行なってきたのですが、平成16年に一定の目途がついたことで「Kagawa University 16」からKU16としたのだそうです。その2年後、県知事が「さぬきよいまい」とあらためて命名、それが一般呼称になっています。
『悦・凱陣』のお酒にすべて共通するのは、メリハリのある酸だと思っています。いったん口に含むと、米の甘みがドン!と来て、それから瑞々しい旨みを含む酸がさわやかに広がって、すぱっと切れます。その後口(あとくち)の良さが、もう一杯飲みたくなる所以(ゆえん)です。
個性があるのに、食中酒として幅広く料理に合わせられる懐の深さも、『悦・凱陣』ならではの酸がポイントになっていると思います。そんな『悦・凱陣』のラインナップの中で『純米無濾過生原酒KU16』は、以前はかなりシャープな辛口に仕上がっていましたが、近年は少し甘みも感じるようになっています。口に含めば柔らかな旨みを持ちながら、その切れのいい後口が、ことに嬉(うれ)しいお酒です。
■ほのかなスモーキー感とホロ苦さに合う酒肴
『悦・凱陣 純米無濾過生原酒KU16』の味わいを、より引き立てる酒肴には何が似合うでしょうか。
大阪・北区にある割烹料理店『堂島雪花菜(どうじまきらず)』の間瀬達郎さんが用意してくれたのは「牛バラと春野菜の煮こごり」。あえて鰹節を使わず、昆布と水と酒だけで牛バラ(あばらの周囲の肉)を炊きます。その出汁(だし)で、うど・こごみ・たらの芽といった春野菜を炊いてゼラチンで固めて煮こごりにします。蕗(ふき)味噌を敷いた上に、煮こごりを置き、さらに上に土筆(つくし)と胡桃(くるみ)を乗せています。手前にはカタクリの花のおひたしをあしらっています。
間瀬さんによれば、このお酒ならではの、まったりした飲み口のなかに内包されているほのかなスモーキーさ、そして新酒らしいホロ苦さを意識した一品とのことです。確かに賞味してみると、山菜類はホロ苦いだけではなく、若干の粘性をもつせいもあって、お酒との質感がよく合っています。土筆と蕗味噌の苦みを同調させながら、胡桃の香ばしさが『悦・凱陣 純米無濾過生原酒KU16』の、ほのかなスモーキー感とうまく一体化しているのです。
私が意外に思ったのは、この料理「牛バラと春野菜の煮こごり」は薄味だったことです。ほどよく冷えたお酒という前提で料理が考えられていますので、お酒が常温になるとまた少し印象は違ってくるでしょうが、「濃い味のお酒には、濃い味の料理」というのが一応の常識です。
しかし、それでは安直に過ぎる、という料理人の意地が垣間見える献立になりました。事実、薄味であっても、牛肉が入ることで味覚の存在感は失われずに、見事に口の中はさわやかなホロ苦さでいっぱいです。
そこに流れ込む『悦・凱陣 純米無濾過生原酒KU16』の甘みと酸と少々の渋苦さが融合します。お酒も主張し過ぎず、料理も引き立つ、その絶妙なバランスは、「はあ~、美味しい」と感嘆のため息を誘います。ひとことつけ加えるなら、「苦みを意識した」という点は、おおむね新酒の時期に限られます。
『悦・凱陣 純米無濾過生原酒KU16』も、ひと夏を越えると、すでに苦みは中に溶け込んで、表には出てきません。お酒は生き物です。飲む時期によって味の印象も違えば、合わせる料理も変わってきます。ですから、一度といわず、季節や情景設定を変えて、同じお酒を2度、3度と楽しんでみるのも一興です。
毎春、香川の銘醸蔵「丸尾本店」へ出かけるたび、利き酒の前に4代目の丸尾忠興さんが決まって案内してくださるのが名物「讃岐うどん」の店です。それも3~4店を回って「ここは釜揚げ」「ぶっかけはここ」「こちらは生醤油で」といった具合なのです。いずれもが美味しくて、うどんのハシゴが、利き酒と並ぶ、讃岐の旅の目的にもなっています。
最近は、私の住む大阪を始め、各地で讃岐うどんの店が増えています。うちの酒販店のお客さまの中にも本場・讃岐で修業をして、うどんの店を持ったという方が結構いらっしゃいます。そういう方に、お酒の相談を受けた時は大抵『悦・凱陣』のラインナップをおすすめしますが、決まって返ってくる答えは、「探していたのはこれ! このお酒です」、そんな嬉しいひと言です。
文/藤本一路(ふじもと・いちろ)
酒販店『白菊屋』(大阪高槻市)取締役店長。日本酒・本格焼酎を軸にワインからベルギービールまでを厳選吟味。飲食店にはお酒のメニューのみならず、食材・器・インテリアまでの相談に応じて情報提供を行っている。
■白菊屋
住所/大阪府高槻市柳川町2-3-2
TEL/072-696-0739
営業時間/9時~20時
定休日/水曜
http://shiragikuya.com/
■間瀬達郎(ませ・たつろう)
大阪『堂島雪花菜』店主。高級料亭や東京・銀座の寿司店での修業を経て独立。開店10周年を迎えた『堂島雪花菜』は、自慢の料理と吟味したお酒が愉しめる店として評判が高い。
■堂島雪花菜
住所/大阪市北区堂島3-2-8
TEL/06-6450-0203
営業時間/11時30分~14時、17時30分~22時
定休日/日曜
アクセス/地下鉄四ツ橋線西梅田駅から徒歩約7分
構成/佐藤俊一
※ 藤本一路さんが各地の蔵元を訪ね歩いて出会った有名無名の日本酒の中から、季節に合ったおすすめの1本をご紹介する連載「今宵の一献」過去記事はこちらをご覧ください。