舌の上を滑っていく蕎麦の味わいも濃厚だ。この店で使っている玄ソバは、北海道の黒松内町で栽培している奈川在来。このソバは、どちらかというと、香りよりも甘みの強さが特徴だが、その個性は蕎麦切りに、十分に反映されている。
蕎麦の甘さと香りは、食べ終えて、店を出てもなお、口中から消えることはない。青梅の駅まで歩いて、さて電車に乗ろうと時刻表を見上げながら、まだ食味の余韻が、舌の表にはっきり刻まれているのを、幸福感とともに感じることができる。
黒松内の奈川在来は、蕎麦に詳しい人なら、ご存知の方は多い。落合勝男さんという生産者が、丹精込めて育てた極上のソバだ。風味に優れたソバだが、この味をきちんと生かして麺の状態に仕上げるには、かなりの技術がいる。『蕎麦 榎戸』主人、榎戸 明さんは、奈川の強さをしっかりと手の内に収め、それを見事に自分の蕎麦として完成させている。甘みも強いが、香りも印象的だ。黒松内の奈川から、こういう個性の蕎麦切りができることを、初めて知った。