文・写真/鈴木隆祐
B級グルメは決してA級の下降線にはない。それはそれで独自の価値あるものだ。酸いも甘いも噛み分けたサライ世代にとって馴染み深い、タフにして美味な大衆の味を「実用グルメ」と再定義し、あらゆる方角から扱っていきたい。
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千駄ヶ谷の蕎麦屋『みろく庵』が話題になっている。将棋史を塗り替えた、破竹の29連勝の若き天才・藤井聡太四段がいつも出前を取るため、全国区で知られるようになったのだ。
ごく普通の町の蕎麦屋だが、一風変わっているのが定食なども出す、懐の深さを持っている点。そして、深夜1時まで営業という、辺りに飲食店が乏しい中、まるで駆け込み寺のような役割も果たしていることか。
駅前の好立地で、今年創業35年となる老舗だが、将棋会館が近いこともあり、棋士もよく訪れる。かつてはひふみんこと加藤一二三九段も直接来店し、渡辺明竜王は今もよく姿を見せるとか。
ぼくもその評判を聞き、遅ればせながら訪問した。
訪れたのは、ちょうど加藤一二三九段の引退会見の取材を済ませた後だった。ちなみに加藤九段も、メニューも見ずに出前で『みろく庵』でのお気に入り「カキフライ」と「チキンカツ定食」を同時注文したところ、春を過ぎたのでカキフライはないと断られたエピソードを、テレビのバラエティで披露し、観客の笑いを誘っていた。
『みろく庵』は、藤井四段が出前で注文する定番メニュー「豚キムチうどん」食べたさの来客で、一挙に賑わうことになった。現にぼくが訪れた際も、客の7〜8割方は、熱々の鍋焼きで提供されるこの話題のメニューをハフハフと啜っており、女将も押し寄せる報道陣に嬉しい悲鳴を上げていた。
その光景を尻目にぼくと担当編集は、ひとまず大瓶ビールをもらう。そして、品書きのつまみの多さに息を呑み、3〜4品一気にオーダーした。
そして、びっくり。それらのいずれもがなかなか美味い! お薦めを訊いても、とっさに答えられないわけだ。
つくね大根煮(380円)、納豆天ぷら(380円)、鯨刺し(650円)、とどれも量もそこそこあり、お値打ちこの上ない。小鉢のお通しは薄味で炊いた冬瓜に酢味噌がかかった代物。そこに季節も感じた。
とりわけ唸ったのが手羽先にんにく焼き(380円)である。出てくるのに多少時間がかかったが、肉付きのよい手羽がこんがり芳ばしく、見事な色合いで焼き上がっている。味は薄からず濃からず、くどくない程度にニンニクの香りが肉の芯まで染み渡っている。
こやつに添えられたカットレモンをちょいと絞る。すると、味がグンと引き締まる。七味もかけてみたが、ないほうがこの絶妙な味つけを堪能できる。
味つけのベースは唐揚げと一緒だろうが、よりヘルシーで、ビールを進める力は変わらない。私たちはあっという間に大瓶を干してしまい、日本酒は奈良の「嬉長」を置いているというので、そちらにすかさず移行した。
これだけ酒飲みのツボを心得た当てを用意されては、つい酒も進んでしまう。昼からの通し営業だし、居酒屋としても使える穴場の店である。
【今日の実用食堂】
『みろく庵』
■住所:東京都渋谷区千駄ケ谷4-19-14
■営業時間:11:30〜25:00
■定休日:年末年始
http://www.nihonbungeisha.co.jp/books/pages/ISBN978-4-537-26157-8.html
文・写真/鈴木隆祐
1966年生まれ。著述家。教育・ビジネスをフィールドに『名門中学 最高の授業』『全国創業者列伝』ほか著書多数。食べ歩きはライフワークで、『東京B級グルメ放浪記』『愛しの街場中華』『東京実用食堂』などの著書がある。