日本全国には大小1,500の酒蔵があるといわれています。しかも、ひとつの酒蔵で醸(かも)すお酒は種類がいくつもあるので、自分好みの銘柄に巡り会うのは至難のわざです。

そこで、「美味しいお酒のある生活」を提唱し、感動と発見のあるお酒の飲み方を提案している大阪・高槻市の酒販店『白菊屋』店長・藤本一路さんに、各地の蔵元を訪ね歩いて出会った有名無名の日本酒の中から、季節に合ったおすすめの1本を選んでもらいました。

【今宵の一献】新潟県 麒麟山酒造『麒麟山 紅葉』(きりんざん もみじ)

麒麟山・純米大吟醸 紅葉 1800ml 7000円、720ml 3500円(税込)

麒麟山・純米大吟醸 紅葉 1800ml 7000円、720ml 3500円(税込)

「狐の嫁入り」という言葉をご存知でしょうか。その昔、夜の帳(とばり)が下りる頃、村の外へ嫁いでゆく女性は、いくつもの松明や提灯を持った相手方の村人の行列に迎え入れられるのが習いだったそうですが――ときに人気(ひとけ)のないはずの山の暗がりに点々と連なって浮かぶ怪しの火が見えることがあり、それは狐が人を化かすために嫁入り行列を真似ているものだとして狐の嫁入り、あるいは「狐の婚」等と呼ばれていたのです。

狐の嫁入りの怪異譚は、日本各地に残っています。なかでも新潟県東蒲原郡の阿賀町津川の麒麟山(きりんざん)には昔から狐が多く棲みついていて、狐火の怪異が頻繁に発生したことで有名です。

その様子を江戸は宝暦年間の越後の地誌はこう書いています。

〈静かなる夜に提灯あるいは炬のごとくなる火およそ一里余りも無間に続きて遠方に見ゆる事有り……〉(『越後名寄』)

蔵の裏から見える麒麟山と常浪川。

蔵の裏から見える麒麟山と常浪川。

狐火の舞台でもあった麒麟山は標高わずか191mの低い山ですが、古代中国では「聖人の出現を知らせる前触れとして、この世にあらわれる霊獣」が麒麟です。その架空の霊獣に姿が似ていることから、麒麟山の名で呼ばれ親しまれてきた山は、阿賀町津川の人々にはシンボル的な存在になっています。

今宵の一献は、その麒麟山を銘柄名とする『麒麟山 紅葉』をご紹介します。

阿賀野川と常浪川(とこなみがわ)の合流点に位置する新潟県阿賀町津川は、周囲を山々に囲まれた山紫水明の地です。古くは越後と会津を結ぶ重要な川港として栄えた土地柄で、江戸期から独占的な酒造りも許されていたところです。

この地で、江戸後期の天保14年(1843)から酒造りを続けてきたのが『麒麟山酒造』です。木炭の生産販売を生業としていた齋藤家の2代目・齋藤吉平が酒造業を起こします。当初は齋藤酒造場の名で、銘柄は「福の井」といいました。今の「麒麟山」に銘柄名を変更したのは明治15年(1882)、3代目・齋藤徳吉の時代です。

町のシンボル、麒麟山の名の由来になった霊獣・麒麟にちなみ、「お酒を飲んでいただいた方に幸せが訪れるように」という願いを込めての改名だったといいます。

現在、蔵を取り仕切るのは7代目・齋藤俊太郎さんです。

麒麟山酒造・代表取締役社長 齋藤俊太郎さん。

麒麟山酒造・代表取締役社長 齋藤俊太郎さん。

ここ麒麟山酒造は、地元の米と水でつくられて、地元の人たちに暮らしのなかで愛飲される、そんな「地酒」づくりに徹する蔵です。

有名地酒銘柄のなかには、首都圏への出荷が主で、地元ではほとんど飲まれていないお酒も見受けられます。そこには様ざまな理由もあるのですが、麒麟山酒造の凄いところは、生産量の8割が地元・新潟県内で消費されていることです。

ごくごく少量生産の小さな酒蔵ならともかく、麒麟山酒造の生産量は約5500石(一升瓶55万本)。大手とはいわないまでも、現在の地酒界において5000石クラスの規模で、そこまで地元に愛され飲まれて続けているお酒も少ないのではないでしょうか。

ちなみに、地元で主に愛飲されているのは『麒麟山 伝辛』という名の普通酒。毎日飲めて家計の負担も少ない、優れた辛口のお酒です。

酒母に櫂入れをする長谷川杜氏。

酒母に櫂入れをする長谷川杜氏。

麒麟山酒造の伝統ともいえる辛口酒を醸すのは、現場の総責任者である杜氏の長谷川良明さんですが、5500石という生産量にも関わらず、酒質のブレの少なさには目を見張るものがあります。

鳳凰蔵の外観。

鳳凰蔵の外観。

今年の7月、「鳳凰蔵」という貯蔵庫が竣工されて稼働を始めています。出来上がったお酒をより良い状態に保つためです。
鳳凰蔵のなかには70本もの大小の貯蔵用サーマルタンク(冷却機能付きタンク)を新たに設置したことで、以前からあるサーマルタンクと合わせれば、生産量の全量を完璧な状態で貯蔵管理ができるようになっています。

鳳凰蔵内に立ち並ぶサーマルタンク。

鳳凰蔵内に立ち並ぶサーマルタンク。

地域に根差した酒造りに徹する麒麟山酒造は、使用する酒米もすべて地元のものにこだわっています。

地酒への強い想いに共感する農家の人たちと、酒米の品質向上を目的として、資金援助と全量買い取りなどの支援も組み込んだ「奥阿賀酒米研究会」を――地元のもうひとつの酒蔵・下越酒造(かえつしゅぞう)」と共に――発足させたのは平成7年(1995)のことでした。

今年で21年目を迎え、当初は15名だった農家も今では33名と倍増。作付け面積も増え、品質も格段に良くなっているそうです。

現在、麒麟山酒造が使う酒米の約7割が阿賀産ですが、最終的には全量をまかないたいとのことです。5年前からは、麒麟山酒造も自社田で社員が酒米作りを始めています。“12月の新酒”として出荷される純米吟醸生酒、その名も『麒麟山ぽたりぽたり』は社員が育てた酒米100%で醸されています。

洗米と限定吸水をする蔵人達。

洗米と限定吸水をする蔵人達。

麒麟山酒造では、酒造りに欠かせない「水」にも神経を注いでいます。そのための取り組みとして、平成22年からは「麒麟山の宝もの」と題する水源を守る活動を始めています。麒麟山酒造の仕込み水は、ブナ林が広がる御神楽岳(みかぐらだけ)を源流とする常波川の伏流水。これは酒造りに不要な鉄分やマンガンがきわめて少ない硬度1・1の軟水です。

その水源を守るために森の植林作業や間伐・下刈り等を行うことで、次世代につなぐ長期的な視野での水質保全にも努めています。

搾った後の酒粕を剥がす作業。

搾った後の酒粕を剥がす作業。

さて、今宵の主役『麒麟山 紅葉』に使用する酒米は、新潟が誇る吟醸用酒造好適米「越淡麗」で、もちろん阿賀産です。その越淡麗を50%まで磨いた純米大吟醸酒ですが――もっといえば、蔵の敷地内には『麒麟山 紅葉』専用の貯蔵庫「紅葉蔵」があって、そのなかでじつは3年以上もの間、低温長期熟成をさせたお酒なのです。

紅葉専用熟成庫。

紅葉専用熟成庫。

長期熟成することで生まれる、しっとりとしたしなやかさ、上品ながらトロリとした舌ざわりは、とかく効率重視でフレッシュさを前面に出す傾向の強い、いまの時代に「待つこと」の意味を教えてくれるお酒です。3年以上の歳月を経てたどり着く円熟味は、きわめて贅沢で、じんわりと体に染み渡ります。『麒麟山 紅葉』は1年に1度、この季節にだけ出荷される限定酒です。

冷やせば品良く、まろやかな味わい。温(ぬる)めの燗なら優しく広がる旨みに杯が進む『麒麟山 紅葉』に、「雪花菜(きらず)」の間瀬達郎さんは何を合わせてくれたでしょうか。

すっぽんの煮こごり。

すっぽんの煮こごり。

出てきたのは「すっぽんの煮こごり」です。

出汁に鰹節は一切使わずに、すっぽんから出る旨みと昆布・塩・醤油のみ。

「とにかく旨いスープにしたかった」とのことで、多少なりとも生臭みがありそうに思うすっぽんですが、むしろ鶏などに比べるときわめて上品に感じました。煮こごりの下には、焼いた下仁田葱が敷かれ、上には白髪葱と針生姜と三つ葉の茎があしらわれています。そして、水に酒を2割ほど加えて塩を入れた70度の湯に、30秒ほど湯通しをした鱈の白子です。

紅葉の葉の形に切って揚げたジャガイモが、晩秋の風趣を感じさせますね。

すっぽんの凝縮した旨みと焼き葱が良いコンビで、香味野菜は『麒麟山 紅葉』のほのかな吟醸香と、熟成によるまろやかでクリーミーな舌触りは白子と、ほんのりした熟成味はすっぽんの旨みと、それぞれの相性の良さが口中でまとまってくれます。

今回は、冷えた状態での『麒麟山 紅葉』を前提とした料理でしたが、「もし、ヌル燗でゆくなら、すっぽん鍋が良さそうですね」ということで、間瀬さんと意見が一致したのはいうまでもありません。

麒麟山酒造で酒造りに使用される米。

麒麟山酒造で酒造りに使用される米。

最初に話を戻せば、昔から狐の嫁入りの火が麒麟山に多く見える年ほど、豊作で縁起が良いという伝承が土地には語り継がれていました。その狐火もいつしか時代の波のなかで輝きを失いましたが、代わりに、今は町恒例の観光イベントに姿を変えて復活しています。それが結婚するカップルを募集して毎年5月に行われる「つがわ狐の嫁入り行列」です。

さて、つい先頃(11月17日)はボージョレ・ヌーヴォーの解禁日でした。その年に収穫した葡萄でつくるワインを飲んで豊作を祝うお祭です。日本酒も基本的には、その年に収穫された酒米で造ります。もっともっと全国各地で、日本酒の新酒祭が盛り上がったら良いと思いませんか。

その気で探せば、結構、晩秋から春にかけて、あちこちで開催されていますので、ぜひチェックしてみることをお勧めします。

そう、いよいよ新酒が楽しめる時節がやってまいりました。今年はどのお酒から飲もうか、正直、わたしはわくわく感でいっぱいです。

蔵の外観。

蔵の外観。

トリミング/藤本さんIMG_0403
文/藤本一路(ふじもと・いちろ)
酒販店『白菊屋』(大阪高槻市)取締役店長。日本酒・本格焼酎を軸にワインからベルギービールまでを厳選吟味。飲食店にはお酒のメニューのみならず、食材・器・インテリアまでの相談に応じて情報提供を行なっている。

■白菊屋
住所/大阪府高槻市柳川町2-3-2
TEL/072-696-0739
営業時間/9時~20時
定休日/水曜
http://shiragikuya.com/

トリミング/間瀬さん雪花菜7
間瀬達郎(ませ・たつろう)
大阪『堂島雪花菜』店主。高級料亭や東京・銀座の寿司店での修業を経て独立。開店10周年を迎えた『堂島雪花菜』は、自慢の料理と吟味したお酒が愉しめる店として評判が高い。

■堂島雪花菜(どうじまきらず)
住所/大阪市北区堂島3-2-8
TEL/06-6450-0203
営業時間/11時30分~14時、17時30分~22時
定休日/日曜
アクセス/地下鉄四ツ橋線西梅田駅から徒歩約7分

構成/佐藤俊一

 

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