取材・文/藤田麻希
「佐竹本三十六歌仙絵」という絵をご存知でしょうか。
藤原公任(ふじわらのきんとう)が選んだ、三十六人の優れた歌人の肖像に和歌を添えた「三十六歌仙絵」の一つで、秋田藩佐竹家に伝わったことから「佐竹本」と呼ばれています。現存する「三十六歌仙絵」のうちの最古のもので、鎌倉時代に制作されました。
もとは、上下2巻の絵巻状に仕立てられていましたが、大正時代に売り立てに出た際、あまりに高価だったため、単独で買うことのできる者がいませんでした。外国人に買われて国外に出る可能性もありましたが、結局、実業家で「千利休以来の大茶人」と呼ばれた重鎮・益田鈍翁主導のもと、歌仙ごとに分割され、複数人で共同購入されました。
分割された歌仙絵は、それぞれに評価額がつけられました。とくに、色鮮やかな衣装をまとう女性歌人の絵に人気が集中しました。「斎宮女御」は、この絵巻唯一の皇族で、他の歌人が背景のない空間に描かれるのに対し、畳の上に座り几帳から身を覗かせるポーズで描かれています。もっとも高い四万円の値がつき、次いで「小野小町」の三万円、「小大君」の二万五千円と続きました。
誰もが女性の歌仙絵を欲しがったわけですが、どの絵を購入できるかは抽選によって決められました。大正8年(1919)、財界人や茶人、古美術商が、品川・御殿山の鈍翁の邸宅にあった応挙館に集まり、運命のくじ引きが始まりました。結果、皆が注目する「斎宮女御」は、ある古美術商に当たり、鈍翁が引き当てたのはあまり人気のなかった僧侶の絵。みるみるうちに、鈍翁の機嫌は悪くなり、周囲にあたりだす始末。結局参加者で協議して「斎宮女御」は鈍翁に譲られることになり、事なきを得たそうです。
それから100年。関東大震災、第二次世界大戦、高度経済成長時代、バブル崩壊を経て、同じ所有者が持ち続けたものもあれば、手放され各所を点々とした絵もありますし、現在も行方不明の作品もあります。美術館に収まった作品がある一方で、展覧される機会が極めて少ない個人所蔵の絵もあります。そんな「三十六歌仙絵」が、現在、分割から100年の節目に合わせ、京都国立博物館の展覧会に集結しています。粘り強い出品交渉の結果、切り分けられた37件(歌仙36件+和歌神・住吉大明神の社頭の1件)のうち、じつに31件が出品されます。
ここまで、「佐竹本三十六歌仙絵」のたどってきたストーリーばかりを語ってきましたが、この絵そのものの魅力はどんなところにあるのでしょうか。京都国立博物館研究員の井並林太郎さんに教えていただきました。
「鎌倉時代につくられた歌仙絵の中でも、佐竹本は特別です。紙には、雲母の粒子を塗布して光沢が与えられ、絵にも金銀が豊かに用いられています。他の歌仙絵にはなかなか使わないような高級な材料を準備して制作されたことは間違いありません。そして何より、和歌の内容に合わせて、歌仙の表情や仕草を描き分けていることが魅力です。恋に悩む源信明(みなもとのさねあきら)は俯いて思いつめるように、散る桜を雪のようだと見とれる紀貫之はうっとりと上方を見やるように、その姿が表されています。歌や肖像から読み取れる彼らの心の動きは、今の我々でも共感できる普遍的なものですから、佐竹本は歌仙絵の最高峰として高い評価を受けるのだと思います」
ほかの特徴として、描かれる人物の、表情がさまざまで個性豊かに描き分けられ、リアリティがあることがあげられます。これは、この絵が当時流行していた「似絵」の影響を受けているからだと考えられています。似絵とは、細かな線を継いで対象の面貌を写実的に写した肖像画のこと。この絵を描いたのは似絵の名手として有名な、藤原信実だと伝えられています。だから遠い過去の歌仙であっても、一人の個性ある人物として描き分けられているのです。
また、所有者たちが施した、贅を凝らした表具を見られるのも展覧会ならでは。絵巻の切断後、これだけの数が一堂に会したことは過去にありません。今後、これだけの佐竹本三十六歌仙絵を一時に見られるチャンスは訪れないかもしれません。この機会にぜひおでかけください。
【[特別展] 流転100年 佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美】
■会期:2019年10月12日(土)― 11月24日(日)
※会期中、一部の作品は展示替えを行います
主な展示替:前期10月12日―11月4日/後期11月6日―11月24日
■会場:京都国立博物館 平成知新館
■住所:京都市東山区茶屋町527
■電話番号:075-525-2473(テレホンサービス)
■展覧会サイト:https://kasen2019.jp/
■開館時間:午前9時30分―午後6時 金・土曜日は午後8時まで
※最終入館は各閉館の30分前まで
■休館日:月曜日
※ただし10月14日と11月4日は開館、翌火曜日休館
取材・文/藤田麻希
美術ライター。明治学院大学大学院芸術学専攻修了。『美術手帖』