取材・文/ふじのあやこ
家族との関係を娘目線で振り返る本連載。幼少期、思春期を経て、親に感じていた気持ちを探ります。~その1~はコチラ
今回お話を伺ったのは、東京でさまざまな資格を生かしてコンサルティングの仕事をしている景子さん(仮名・43歳)。神奈川県出身で、両親と3歳下、6歳下に2人の妹がいる5人家族。長女として厳しく躾けられる自分と、甘え上手で父親と仲良くする一番下の妹との違いにもやもやするものの、何も行動することができなかったそう。
「当時は思春期だったこともあり、父親に歩み寄るなんて考えはまったくありませんでした。それに小さい頃から叩きこまれた、『いい成績じゃないといけない』『いい姉じゃないといけない』という思いを消し去ることもできなかった。そんなもやもやした気持ちは父親を避けることで忘れることができたんです」
目標が見えない時、誰よりも親身になってくれたのは父親だった
勉強ができた景子さんに父親はさらに上位の大学進学を望みます。高校では反抗期もあり、次第に勉強を理由に家族団らんの時間を避けるようになっていきます。
「反抗期の矛先は父親に向いて、無視するようになりましたね。私の家では父親が絶対で、本1冊買うのにも父親の許可がいった。そのお願いで会話をするのにも苦痛が伴いました。その頃は顔を合わせると『勉強はどうなっている』と逐一質問されるので、みんなの団らんにも勉強を理由に避けていました。勉強を理由にした時だけ、それができたから。私は成績がそこそこ良くて、父の希望大学は現実的に目指せるところだったので、必死でしたよ。父の望みをかなえてあげたいという思いより、落ちたら何を言われるかわからないといった気持ちが強かったですけどね」
その後、景子さんは大学にストレートで合格。大学に入る前後で父親との関係に少し変化があったと言います。
「この大学に入らなければという思いだけで、何を勉強して、将来自分が何をしたいのかがまったく見えなくて……。そんな時に、どちらから歩み寄ったのかはあまり覚えていないんですが、父親は相談に乗ってくれたんです。参考書を薦めてくれたり、勉強を見てくれたり。後から知ったんですが、父親は希望大学に合格できなかった過去があって、そのコンプレックスが大人になってからも続いていたそう。そんな辛い思いを、私にさせたくなかったのかもしれません。
無事合格した後、大学の入学式には父親が参加してくれました。妹とは3つずつ違うので、母親は妹たちの式に参加したんです。父が私を選んでくれたことも嬉しかったし、小学校の入学式の時も母親が妊娠中だったために父親が参加してくれていました。あの時の若かった父親の笑顔が、今と重なりましたね」
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