文/印南敦史
タレントのルー大柴といえば、すぐに思い出すのは日本語と英語を“トゥギャザー”した独特の話術である。というよりも、ルー大柴像の大半がそこに集約されているといっても過言ではないかもしれない。少なくとも個人的にはそう感じていたし、そこが魅力だと思ってもいた。
ところが本書『心を整えルー──ティーが教えてくれた人生で大切なこと』(大柴宗徹著、自由国民社)に目を通してみると、そんなイメージがきわめて断片的なものであったことに気づく。
ここにいるのは“トゥギャザー”なルー大柴であると同時に、「ティー」(本書に準じ、ここでも“茶”ではなく“ティー”と表記する)から多くのことを学んだ「大柴胸徹」だからだ。
ティー道、すなわち茶道に挑戦してから10年を経て、著者は昔の自分との違いを実感しているのだそうだ。だとすれば、なにがどう変わったのか?
ムダに肩肘をはらない、ラクな姿勢で生きる人間に変わりました。それは加齢のせいでなく、あくまでティー道のおかげです。
目の前のお茶碗を眺めて、
「どんな山地で作られ、どんな想いが込められているんだろう」
と心を馳せることができるようになったから。
(本書「はじめに 茶道が教えてくれる人生で大切なこと」より)
こう聞くと、「昔から工芸品などに関心があったのではないか」と思えたりもする。ところがティー道を知る以前の著者にとって、お茶碗はただのお茶碗でしかなかったという。
なのに、いまでは、お茶碗の背景を知りたくなって、知っている人がいれば尋ね、自分でストーリーを膨らませていく。つまりお茶碗が愛しい存在になっているということだ。
“トゥギャザー”言葉のイメージとはかけ離れているが、それはおそらく、ティー道が彼の視野を大きく広げたということだ。従来のルー大柴像だけを武器にしたとしても、彼はきっと生きていけるはずだ。それだけのインパクトと説得力が、その芸風にはあるのだから。
しかし、ティー道が加わったとき、そこに新たなルー大柴=大柴宗徹が加わり、結果として目の前の景色も広がっていったのだろうということ。事実、お茶碗のような「もの」だけではなく、「人」に対する見方が変化したことをも彼は認めている。
こんにちは、さようなら、と挨拶して終わるのではなく
「この人の目に、世界はどう映っているのだろう」
と、ときおりイメージしてみます。
同じ空間にいても、相手の立場に立ったつもりで周囲を見直すと、急に新鮮味が増して楽しい気分に。
それらはどれも、自己主張の強い某米かぶれのキャラクターで芸能界を渡り歩いてきたルー大柴が、一念発起してティー道の教室に通い、おもてなしの極意を学んできた成果です。
(本書「はじめに 茶道が教えてくれる人生で大切なこと」より)
ティー道のおもてなしとは、人と人との間に生まれるやさしい気持ちなのだと著者は言う。すなわち、相手を喜ばせようとする思いやり。
もちろん、わかりやすい達成感やメソッドのようなものが得られるわけではない。しかし時間の経過とともに少しずつ、変化が訪れるのだという。
ハラハラ、クヨクヨ、イライラ、オドオドしていたそれまでの自分が、すーっと穏やかになっていくというのだ。そして師範の許状を受け取るまで続けてみてようやく、ティー道は生きるヒントの宝庫であることがわかったのだそうだ。
つまり本書では、ティー道を通じて著者が会得した考え方、感性、生き方、幸福論などが展開されているのである。
たとえば著者は本書のなかで、「ティー道をやると、度胸がつく」と記している。なぜならティーの席では、緊張と集中が要求されるからだ。それが感覚的に身についていくことが、度胸につながるということだ。
初対面の人が同じ場にいても、全員が所作に集中。
静謐な空気を守りながらもてなす側はティーを点て、もてなされる側も静かな心でティーをいただくには、それぞれが度胸を必要とします。
(本書120ページより引用)
威厳のある茶室に入ると、緊張感に飲み込まれそうになることもあるはずだ。著者もティー道教室に通い始めたころは、完全に飲まれていたのだという。
とはいえ緊張のあまり、せっかく点ててもらったティーをきちんと味わえないのだとしたら残念なことだ。だから、口に入れた抹茶の味をちゃんと記憶できるよう、鼻で香り、舌で苦味や甘みを意識して感じ取ろうとすると、それだけで緊張がほぐれていくというのである。
そして同じやり方は、日常生活のなかでも活かすことができるという。
茶室以外のオフィスでも自宅でも、ひと息つきたいとき、
「右肩から力を全部抜いてみよう」
「次は左肩」
とやってみると、想像以上に余計な力が入っていたことに気付くかもしれません。
(本書121ページより引用)
自分が緊張しているという自覚は、意外に持ちにくいものだ。そして緊張は、他人の目など余計なものを気にしすぎて起こるものである。だからこそそんなとき、自分の五感や所作に神経を集中させると、落ち着きを取り戻せるという考え方。
そうやって場慣れしていけば、知らず知らずのうちに度胸のついた人間へと成長できるというのである。
個人的に、これまでティー道に関心を持ったことは一度もなかった。だが本書を読んでみた結果、気持ちが少しだけ変化しつつあることを意識してもいる。
思っていた以上に奥深い世界が、そこには広がっているように思えたからだ。
『心を整えルー──ティーが教えてくれた人生で大切なこと』
大柴宗徹著
自由国民社
1,404 円(本体 1,300 円 + 税)
2019年3月発売
文/印南敦史
作家、書評家、編集者。株式会社アンビエンス代表取締役。1962年東京生まれ。音楽雑誌の編集長を経て独立。複数のウェブ媒体で書評欄を担当。著書に『遅読家のための読書術』(ダイヤモンド社)、『プロ書評家が教える 伝わる文章を書く技術』(KADOKAWA)、『世界一やさしい読書習慣定着メソッド』(大和書房)、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』などがある。新刊は『読んでも読んでも忘れてしまう人のための読書術』(星海社新書)。