取材・文/坂口鈴香
息子家族の夕食づくりに、孫の世話、週に数回は義母のいる有料老人ホームと義父の暮らす実家の家事に片付け……大村佳代子さん(仮名・63)が、そんな生活を数年続けるうちに、義母の認知症はだんだん進行していった。
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息子の顔も名前もわからない
「相変わらず、認知症になった義母のことを不憫に思っているのか、主人や義弟は、ホームに行くと、食べ物を口まで運んであげたり、手足を優しくマッサージしてあげたりしています。ここまで大切に思われて、お義母さんも幸せだなとは思いますね」
しかし今、義母は溺愛していた息子たちの顔も名前もわからなくなった。
「主人や義弟はかなりショックだったようです。そのうえ、なぜか仲の良くなかった私の名前は覚えているんです。実質的にお世話をしてきたのは私だとわかっているんでしょうね」。
夫の兄弟は確かにエリートだったが、「生活能力は低い」と佳代子さんは断定した。認知症になった義母をどうするか、一人暮らしをする義父の食事などの家事をどうするかについて話し合うときには、かならず「佳代子も」「お義姉さんも」と同席を求められた。介護認定を受けるのも、配食サービスを選んで手続きするのも、すべて采配してきたのは佳代子さんだ。義母が佳代子さんだけを覚えているという事実は、佳代子さんにとっては、ちょっぴり痛快なできごとでもあったのではないだろうか。
父親との生活に生きがいを見出した夫
それから、佳代子さん夫婦の心配のタネは、90歳を過ぎてもなお頑強に一人暮らしを続ける義父のことに移った。
ちょどそのころ、折よく夫が再就職先をリタイアした。もっと働こうと思えば働けたのだが、完全リタイアを決断したのは、独り暮らしをする父親のことが頭にあったからだろう。仕事人間だった夫は、母親の認知症が進行するにしたがって、だんだん自分の人生の着地点を考えるようになっていたようだと佳代子さんは言う。家事を手伝うようになり、子育ては佳代子さんにまかせっきりだったのに孫の世話をするようになった。
そして、仕事を完全に辞めると、空いた時間と次の人生の目標を「父親」に定めたのだ。平日は実家に泊まり込んで、父親と二人の生活を送るようになった。それも、生き生きと。
しかし、佳代子さんが肩の荷を下ろしたのもつかの間だった。
しばらくはこの生活が順調に続くだろうと思っていた矢先に、元気だった義父の病気が発覚、入院、手術となったのだ。幸い、手術は成功。気丈な義父は、環境が変わったことによる認知機能の衰えも見られなかった。とはいえ、高齢だ。入院生活で足腰は確実に弱った。
「90過ぎても、きついリハビリをする姿を見て複雑な気持ちになりました。超高齢化社会って、こういうことなのかと。死ぬまで『頑張れ』って言われて……長生きするのも楽じゃないですね」
懸命にリハビリしていた義父だが、病院からは3週間で退院を迫られた。介護認定を受け、ヘルパーを利用して自宅で生活するということも考えたが、佳代子さんの夫も義父を在宅で介護する自信はさすがになかった。
そしてまた佳代子さんを含めた家族会議が開かれた結果、義母と同じホームに入居してもらうという結論に達したのだ。
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