昨年夏『サライ.jp』に連載され好評を博した《実録「青春18きっぷ」で行ける日本縦断列車旅》。九州・枕崎駅から北海道・稚内駅まで、普通列車を乗り継いで行く日本縦断の大旅行を完遂した59歳の鉄道写真家・川井聡さんが、また新たな鉄道旅に出た。今回の舞台は北海道。広大な北の大地を走るJR北海道の在来線全線を、普通列車を乗り継ぎ、10日間かけて完全乗車するのだ。
※本記事は2018年5月に取材されたものです。北海道胆振東部地震により被災された方々に心よりお見舞いを申し上げます。少しでも早い復旧と皆様のご無事をお祈りしております。
文・写真/川井聡
【10日目・最終日のルート】
最終日の乗車コースに選んだのは日高本線だ。ふだんは穏やかな太平洋を間近に見ることができる絶景路線だったが、風の強い日には、列車が太平洋の荒波を被るようなこともあった。2015年1月には高波で海岸線が崩壊。道床が浚われたり、鉄橋が落ちたりした。従来なら早急な復旧が始まるところだが、線路はそれ以来途切れたまま。JRも沿線の自治体もそれぞれの思惑があるのだろうが、廃止か存続か定められぬまま現在に至っている。
「存在は認識しているが、皆の諦めがつくまでそのままにしておこう」という感じだろうか。まるでしまい込まれた冷凍食品である。
「日高本線は、賞味期間切れか?」 最終日はそれを確かめる旅でもある。
快晴!
最終日の朝は、最高の青空で始まった。苫小牧駅に行き7時57分発の列車で、鵡川に向かう。列車が線路の上を走るのは鵡川までだけど、ホームの電光表示板は様似行き。時刻表には「高波による線路被害のため、当面の間、バス代行輸送を行っています」と書かれている。「当面」は、かれこれもう3年も続いている。
日高線用のオリジナル塗装は競走馬と連なる山がシンボルマーク。馬は競争馬、山はアポイ岳に代表される日高の山々である。車体の塗装は下地のパテごとはがれている。補修はペンキだけだが丁寧に塗装されている。日高線の置かれた状況とそこを守る鉄道員の姿がうかんでくる。
運転席の下部も塗装がパテごとはがれていた。アザラシがちょこんと座っているような姿で、なかなかユーモラス。
2両編成だが、通学とは逆の方向なので車内は空いている。苫小牧を出て最初の停車駅は勇払。戦争直前から昭和50年代まで製紙工場の引き込み線があり、相当な数の貨物を扱う駅だった。現在は線路一本とホーム一面の無人駅だが、駅周辺の草むらの広さからもかつての規模がうかがえる。
車窓から見えるのは広大な原野。2012年に公開された映画「のぼうの城」は、この付近にある巨大な沼を使って撮影された。
この原野は「苫東(とまとう)」と呼ばれ、開発が計画された広大な工業用地だ。苫東開発は実質的にとん挫したが、ここに完成した中でおそらく最大規模の工場が北海道電力の厚真火力発電所。北海道の電力の大半をまかなう巨大発電所だ。2018年の震災で発送電不能となり、北海道全体が停電したのは記憶に新しい。このときは、快走する列車の窓からしずかな姿を見せていた。
港湾施設を挟んで、発電所の対岸にあるのがフェリーターミナル。ちょうど苫小牧と敦賀をむすぶフェリーが着岸していた
海岸沿いの平地を走るため鵡川までほぼ直線だが、厚真川と交差する所では流れに対して直角に交差するため大きくカーブする。勇払駅から鵡川駅に向かう間で、ほぼ唯一の右カーブだ。
浜厚真駅は緩急車を利用した駅舎。車両の妻面には、可愛らしいイラストが描かれていた。ちなみに、この駅はフェリーターミナルに最も近い駅だが、歩く以外にアクセスはない。残念ながらよほどの物好きでもなければ、最寄り駅として利用する人はいない。駅舎の方は、笑顔で送迎しているのだが……。
浜田浦も無人駅。駅前にはコンクリートブロックを組んだ小さな待合室がある。ホームでは乗客が一人、列車を待っていた。
苫小牧を出て30分で、列車の終点、鵡川駅に到着。列車の運行はここで打ち切られ、様似まではバスによる代行運転となる。
交換設備のある駅だ。が、ここで交換する列車はなく、すべて折り返しである。
JR北海道青春18きっぷ乗りつぶしの旅も、いよいよラストコースに入る。鉄道車両はこれで見納めかと思うとなかなか離れがたい。細部を見れば満身創痍のキハ40だが、青空の下でこうして眺めるとじつに気持ちいい。なかなか堂々としたものである。
鵡川駅を発着する列車はすべて1番ホームのみ。ホームと駅舎は構内踏切でむすばれている。
鵡川駅の待合室。KIOSKや事務室などは高波被害の前からすでに閉鎖中。待合室の壁面には、代行バスの乗り場や時刻などの案内が貼られていた。
代行バスは、ハイデッカータイプの豪華バス。残念ながら、車内はほぼ貸し切り。
国道235号線、通称浦河国道を走る。道路わきの牧草地には、どういうわけか遊具とともにナゾの「ミサイル」が置かれていた。実用というわけじゃないし、クマ除けになるとも思えないし、いったい何のためにあるのかいまだによくわからない。
「ミサイル」のあった牧草地で、国道を右折して汐見駅へ。国道から2.5kmも離れているがバスは丁寧に迂回して回る。シシャモで有名な鵡川漁港にほど近い駅だが、当然のように乗客はいなかった。
富川駅に到着。停車時間に少し余裕があったので、下車して付近を歩かせてもらう。富川は沿線でも比較的大きな町である。途中区間の高波被害も他に比べると比較的小さかったため「ここまでは残してほしい」という地元の声もあるが、先行きは不透明なようである。
豊郷駅~清畠駅の慶能舞(けのまい)川橋梁。2015年(平成27年)1月8日の高波で橋脚だけとなってしまった。
太平洋を望む鉄橋。昔からのありとあらゆるアングルで多くの人がカメラに収めた撮影名所だ。ここでは橋脚が落ちるような被害は出なかったが、前後の区間で被害が出ているため列車が来ることはない。
厚賀駅~大狩部駅
まもなく代行バスは沿岸を離れ、丘に登って大狩部の集落をまわる。集落には「大狩部高台」というバス停ができていた。国鉄時代に地元の要請で作られた「仮乗降場」みたいなものか。
もともとの大狩部駅より便利そうな位置にある。
秘境駅として知られる大狩部駅。ホームのすぐ前は太平洋だ。だがこの地形が災いして、駅周辺では何か所も線路が路盤ごと失われてしまった。画面の築堤は国道のもので、駅はこのトンネルをくぐったところにある。
新冠駅を出たところに置かれている旧型客車。かつて札幌と函館を結ぶ夜行列車で使われていたもの。座席を取り外したカーペット車として運行されていたため、その利便性を活かし、廃車後はライダーハウスとしてこの場所に置かれた。周囲はかなり草生していて、現在は閉鎖されているようだ。
10:23分、静内駅到着もダイヤ通り。さすが「列車代行」バスである。静内駅は日高本線の全駅を管理する駅でもある。苫小牧を出てから鵡川までの列車の運行管理。鵡川~静内の代行バス運行管理。そして各駅の管理と、やることは大量にある。
改札を入りホームに入れていただいた。ちょうど駅長さんが駅の見回りを行っていた。
レールは使用停止中だが、「列車」は代行バスで運行中。駅構内に入るのは入場券が必要。ディーゼルカーが来ないだけで、駅としては現役なのだから当然だ。入ってみると線路には草一本ないほどきれいに整備されている。もちろん紙くず一つ飛んできてもいない。
駅を守る鉄道マンの矜持を見る思いだ。
駅のみどりの窓口も営業中。窓口の売り上げが、駅や路線の売上額に計上されるというので帰りの指定券や乗車券を購入する。どこで買っても変わらないきっぷだが、ささやかな応援だ。
静内駅は「平常運転」。みどりの窓口も、売店も、駅そばも、駅弁も健在だ。駅弁は予約制だが、立ち食いソバはもちろん予約なしでOK。この旅最後の駅そばをいただく。
黒めの出汁に黒めの蕎麦がおいしい。ホームに列車は来ないけれど、駅ソバらしい駅ソバだ。
様似行きのバスの発車は正午ちょうど。しかし、ここでは一つ訪れたいところがあった。駅から歩いて一分のところにある食堂だ。
勝手な思い込みだが、鉄道旅行は、駅と駅前食堂、そして駅前旅館はワンセットが美しい。どこかにフランキー堺とか森繁久彌が登場してきそうなイメージである。
いまは無人駅が増えて、大きな駅の駅前はビジネスホテルチェーンとなり、駅前食堂はパタパタと姿を消した。決してオイシイとは言えない所もあったが、一つ一つが味わいだった。
ところで、静内駅には、懐かしい駅前食堂が営業を続けている。しかもおいしい!!
なので、この駅を訪れるときは、いつも時間を取って駅前食堂を楽しむようにしている。
駅前の食堂は、ちょうどお昼を迎え近くの人たちが昼食に訪れていた。ひとの空くのを待って野菜炒め定食を注文。たっぷりの野菜とふかふかのお米がおいしい。しばらくすると白髪の男性が食堂を訪れた。
制服を着ていないので一瞬判らなかったが、静内駅の駅長さんだ。
『線路の間に草を生やすような鉄道員になってはいけない。』駅長が鉄道に就職したころに先輩駅長から言われた言葉だという。だから例え鉄道車両は来なくても駅は駅、自分たちが管理すべき線路はしっかりと守るし、駅はきれいに維持する。駅構内に入るのに入場券を買ってもらうのも、収入を上げるためではない。鉄道としてのけじめなのだ。
「地元の高校生たちがJRに入ってもらえるよう、人探しするのも仕事の一つなんです」と駅長が言う。
思い出すことがあった。宗谷本線で出会ったあの高校生だ。「北海道の鉄道を守るために、JRに就職したい」という彼女の夢をかなえられないか。駅長に相談をした。
「そんな人がいるのですか。ええっと、いまあっちの採用担当は誰だったかな。もし、その子が申し込んできたら絶対入ってもらえるように言っとくよ!」と。そして「もしも、もう採用枠が一杯だなんて言ってきたら、俺のところに言って来たら引き受ける!」とも。
駅長にここまで言ってもらえれば、自分ができることはこれまでだ。彼女の未来が拓けることを心から願った。
気が付くと、12時の代行バスはすでに発車し、次の13時30分の発車が近づいていた。
【10日目・その1乗車区間】
苫小牧~静内(日高本線)
文・写真/川井聡
昭和34年、大阪府生まれ。鉄道カメラマン。鉄道はただ「撮る」ものではなく「乗って撮る」ものであると、人との出会いや旅をテーマにした作品を発表している。著書に『汽車旅』シリーズ(昭文社など)ほか多数。