取材・文/末原美裕
牡鹿なく小倉の山の裾近みただひとりすむわが心かな
(『山家集』上、秋歌)
西行法師が小倉山で残した歌で、「牝鹿が鳴く小倉の山裾近くにただ独り住んでいると、世の中の煩わしいことにとらわれることもなく、我が心は澄んでいくものだ」、という悟りの境地を開いたかのような気持ちが綴られています。
この他にも、百人一首で広く知られている小倉山には、多くの和歌が残されています。
平安時代より嵯峨野の地は、皇族や貴族の離宮、山荘をかまえる景勝地として有名でした。特に小倉山、亀岡、嵐山の山麓は、後嵯峨上皇の亀山殿、兼明親王の雄倉殿、藤原定家の小倉山荘の他、八条院高倉、待賢門院の中納言局、藤原公雄、藤原光経、飛鳥井雅有、覚性法親王や西行法師、涌蓮、向井去来など公家や歌人が好んで別荘や菴を構えた地域です。
そして後嵯峨上皇が吉野の桜を嵐山に移植してからは、嵐山は桜の名所、小倉山は紅葉と鹿の名所として多くの人から親しまれてきました。
そんな小倉山山腹に位置する常寂光寺は今、鮮やかで色濃い青もみじで覆われています。
常寂光寺は、1561年に究竟院日禛上人(くきよういんにっしんしょうにん)が開山しました。宗学と歌道への造詣が深く、加藤清正、三好吉房、小出秀政、小早川秀秋、瑞竜院日秀 (秀吉の実姉)、その他京都町衆の帰依者も多かったそうです。
1595年に豊臣秀吉が建立した東山方広寺大仏殿の千僧供養への出仕・不出仕をめぐって、京都の本山が二派に分裂したとき、上人は、不受不施の宗制を守って、出仕に応じず、やがて本圀寺を出て小倉山の地に隠栖し、常寂光寺を開創したそうです。
この場所を選んだのは、古くから歌枕の名勝として名高く、俊成、定家、西行などのゆかりの地であったからと言われています。
藤原定家の小倉山荘の場所については、諸説ありますが、常寂光寺の仁王門北側から二尊院の南側にあったのではないかと伝えられています。「小倉百人一首」をそこでまとめたとも言われており、この情緒漂う雰囲気に触れると、この場所が選ばれた訳もわかる気がしてきます。
常寂光寺のご住職である長尾 憲佑氏は「和歌はタイムカプセルのようなもの。千年以上前の情景や思いが詰まっています。和歌を仕入れてから散策するとより趣深いお詣りとなりますよ」とおすすめしてくださいました。
和歌の世界の情緒を求めて、清々しい常寂光寺の境内をぜひ散策してみてください。
常寂光寺
住所:京都市右京区嵯峨小倉山小倉町3
アクセス: JR山陰本線(嵯峨野線)「嵯峨嵐山」駅下車、徒歩15分
拝観時間:9:00~17:00 (受付終了16:30)
拝観料金: 500円
電話:075-861-0435
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取材・文/末原美裕