二千年前の漢の時代に成立し、仏教伝来とともに日本にもたらされた中国の医学。現代では「漢方」として親しまれるこの伝統療法には、健康で長生きするための知恵が詰まっています。
そこで「漢方」という言葉に馴染みがない人にも漢方の概要をわかっていただけるように、日本漢方とはどういうことか、漢方独特の診断の物差し「証」(しょう)や「気・血・水」(き・けつ・すい)の考え方などについてご紹介したいと思います。慶應義塾大学の渡辺賢治先生に、具体例を挙げていただきながら、漢方の基本をわかりやすくお話しいただきました。
日本独自に発達した「日本漢方」
漢方というと中国が本場だと思いがちですが、正確にいうと、じつは中国に漢方はありません。そもそも漢方という言葉自体が、江戸時代に蘭方(西洋医学)に相対する語として日本で造語されたものなのです。ですから、中国に行って「本場漢方医学」などと称する商品があったら、それは日本人向けの商売だと考えた方が良いといえます。
日本漢方とは、中国から伝わった中国医学が日本独自に発達したものをいいます。江戸時代の医師たちは柔軟な考えを持っていたので、患者に良いものは取り入れていくという実学の精神のもと、蘭方(西洋医学)も取り入れて融合してきたのが、現在の日本漢方です。
江戸時代の医師たちは、中国での治験だけに限らず、自身の臨床に照らし合わせて、ひとつの漢方薬がどんな体質の人のどんな症状に効くかというデータを積み重ねてきました。これは日本人の体質にあったデータが積み重なっているということです。
日本人の体質にあったデータには、どのような具体例があるのか、渡辺先生にお聞きしました。
「たとえば、日本における葛根湯(かっこんとう)の処方には『肩こり』という適応がありますが、中国にはありません。日本の漢方の歴史の中で、『葛根湯が肩こりに効く』というのは経験的にわかってきたことなのです」
漢方医学特有の診断法「証」とは?
西洋医学の病名は病気の場所(たとえば肝臓)や病気の原因(例えば癌)を基にして付けられるものですが、漢方の「証」(しょう)とは、病気を持つ人間の状態(もともとの体質および病気に対する体の反応)を分類するものです。そのため、西洋医学的には病気のない人を分類することもできます。
具体的にはどういうことでしょうか?
「急性疾患の風邪を例に取ると、西洋医学では、風邪といえばこの薬というように、老若男女を問わず同じように治療します。しかし、漢方では、同じ風邪でも日頃体力があるのか、胃腸は丈夫なのか、発症してからどのくらい経っているのか、汗が出ているのか、などと、患者の状態に応じて事細かに治療が分かれます」
「気・血・水」とはどのような概念?
気・血・水とは、東洋における仮想的な概念です。漢方医学では気・血・水が体を機能させるために必要な要素であると考えられています。「気」とは、わかりやすくいうと、エネルギーと言い換えることができます。「血」とは、おおよそ今でいう血液のことであり、気とともに全身を巡り、各組織に栄養を与えます。「水」とは、血液以外の体液一般を指します。
人間の体は気・血・水すべてが体内を循環することによって正常に働きますが、それぞれが不足したり、滞って体の一部分に偏ってしまったりすることにより、様々な障害を起こすとされています。
「気」を用いた表現は多いですよね。具体的にはどういう状態のことをいうのでしょうか?
「『気が短い』『気を失う』などというように日常的に使われています。「気」とは体中を巡るものと考えられています。その気が不足してしまう状態を、気虚(ききょ)と呼び、胃腸機能の低下などにより、身体がだるい、疲れやすい、日中の眠気などの症状が現れます」
不定愁訴とはなにか? 未病の考え方と現代的意義
漢方医学では、「病気ではないが、なんだかだるい、疲れやすい」などといった「未病」を独特の概念である気・血・水によって証に分け、治療をしていきます。未病とは特定の病気としてまとめられない慢然とした身体の不調を表す「不定愁訴」とも言い換えることができるでしょう。
実際に未病に対する治療例を渡辺先生にお聞きしました。
「西洋医学的に病名が付かないような食欲不振、倦怠感、冷え、イライラなど、なんとなくの不調に対して漢方薬を飲むことで日常生活を楽に過ごせることはよくあります。
ひとつの例として、若いころから胃腸が弱くて体力がなく、それがコンプレックスで過ごしてきた60代の女性が四君子湯(しくんしとう)という漢方を3年間飲み続けたところ、見違えるほど丈夫になり、自分に自信が持てるようになったという例があります」
現代人にこそ漢方を
今回は日本漢方について紹介させていただきました。日本漢方は、日本人に合わせて西洋医学と漢方医学を融合させて生まれた、日本独自の医療なのです。西洋医学とは考え方が異なり、複雑に感じるかもしれませんが、その分、個人個人に合わせた治療を行なう、「個別化医療」を重んじています。
現代人は、毎日の生活が忙しく、病気とまではいえない不調「不定愁訴」を日常的に抱えている場合も多いことでしょう。そんな現代人にとって、漢方医学が果たせる役割は大きいのではないでしょうか。
文/葉山茂一(はやま・しげかず)
漢方デスク株式会社代表取締役。漢方・薬膳の総合ポータルサイト「漢方デスク(http://www.kampodesk.com)」を企画・運営。
取材協力/渡辺賢治(わたなべ・けんじ)
慶應義塾大学環境情報学部教授医学部兼担教授。漢方デスクの漢方医学監修を務める。