文/澤田真一
都心にいながら「涼しい夏景色」を体験できる場所は探せばいくつもある。そのひとつが、浅草寺。下町のシンボルとも言うべきこの寺社は、四季の移り変わりとともにまったく別の景色を見せてくれる。
ここで7月9日、10日に『ほおずき市』が開催された。東京を代表する夏の一大イベントとして全国から見物客を集めているこの催しの様子をお伝えしよう。
浅草寺にとって、7月10日は「四万六千日参拝」の日でもある。この日に参拝すると、4万6,000日分の功徳が得られるとされる。なぜ4万6,000日なのかは複数の説があるが、およそ126年に相当するため、大往生した場合の功徳がこの日に得られるという話もある。
浅草寺では、その日に合わせた特別な札を販売している。それが「雷除」だ。避雷針がなかった時代、江戸の人々は雷災害を避けるために赤トウモロコシを軒先に掲げていた。もちろんこれは、科学的な意味合いではなくまじないとしての行為だ。
だが、明治に入るとトウモロコシの不作という事態に見舞われた。その代用品として、浅草寺が雷除を配布し始めたというわけだ。
現代では避雷針が町のあちこちにあるから、さすがに「雷に打たれる」ということはあまりない。だが、現代人は浅草寺の雷除を「自然災害全般から身を守る」という意図で買い求めるそうだ。
さて、この日の境内の周辺は大変な賑わいである。
ほおずき市は、もともとは港区にある愛宕神社の催事だった。それに倣う形で浅草寺もほおずき市を始めたという経緯だそうだ。19世紀初めの文化文政期、ほおずき市は江戸のガーデニングブームを象徴するイベントとしてすでに定着していたそうだから、その歴史は200年以上遡ることができる。
文化文政期とは、江戸文化が最も華やかだった時代である。今の北海道に該当する地域では文化露寇やゴローニン事件といった対外摩擦はあったものの、一般庶民にとってそのようなことは別世界の話だ。植物の品種改良技術、火薬を転用した花火の製造、絵画技法などが文化文政期に急発展し、日本文化に新たなエッセンスを加えた。
とくにガーデニングは、江戸時代を象徴する趣味だった。武士も公家も平民も、みんなが等しく熱中したのだ。幕末、この光景を見た外国人が「日本の平民は食料ではなく草や花を買う」と記録している。ヨーロッパでは、万年貧乏の平民が植物の鉢を買うということはまずなかったのだ。
江戸時代のガーデニングは、鑑賞のために限らず、育てた植物を薬用にするという意図もあった。
このあたりも、やはりヨーロッパではあまりない。西洋医学は常に服薬治療より外科手術が先行していたし、そもそも学者でない限り植物の栽培などしようとは決して考えない。
ホオズキは、風邪薬として広く利用されていた。子供の癇癪を抑える薬、すなわち鎮静剤としての効能もあるという。江戸の人々は、寺社の縁日で買ったホオズキを日常生活に役立てていたのだ。
そうした習慣があるから、江戸は結果的に「緑が映える町」だったに違いない。
木造家屋の軒先に、ホオズキやアサガオの鉢がいくつも置かれている。暑い昼間は誰かが打ち水をし、辺りを潤す。江戸には年中無休の水道が通っていたから、水資源は豊富にあったのだ。だからこそ、園芸が広く普及した。
その光景を今に伝える浅草のほおずき市。夏を涼しく過ごすのに、エアコンはいらない。水と緑とホオズキの実の橙色が、人々の心に風を吹き込んでくれる。
取材・文・写真/澤田真一
フリーライター。静岡県静岡市出身。各メディアで経済情報、日本文化、最先端テクノロジーに関する記事を執筆している。