今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。
【今日のことば】
「お前らに飲ます酒は造っとらん!」
--鳥井信治郎
サントリーの創業者である鳥井信治郎の「やってみなはれ」精神は有名だ。何か難しい課題にぶち当たった時、簡単に諦めるのでなく、ともかくまずは挑戦してみる。実践しながら、なんとか打開策を模索してみる。失敗を恐れてはいけない。そういう意味であろう。生まれは明治12年(1879)。夏目漱石より、ひと回り(12歳)年少にあたる。
以前、サントリーグループが開発した「青いバラ」について取材する機会があったが、この不可能といわれていた花を生み出し商品化できたベースにも、この「やってみなはれ」精神があったと、開発に携わった研究者は語っていた。
だが、この言葉の裏には、鳥井信治郎の、スティーブ・ジョブス(アップル創業者)ばりの、人の言い分など寄せつけぬ頑固一徹な押しの強さがひそんでいたことも語っておくべきだろう。「勤務時間内ではできない」と訴える社員に対して、鳥井は「夜は時間がありまっしゃろ」と平気な顔で突き放したこともあったという。
まあ、「働き方改革」が話題となる現今とは異なり、労使一丸となって汗を流し奮闘していた時代。加えて、鳥井信治郎本人が無類の努力家でしっかりした成果を上げ、半面の包み込むような温かさもあるから、周囲も文句はいえなくなってしまうところがあったのだろう。そのくらいでなければ、薬種問屋の奉公人から叩き上げて辣腕経営者になる鳥井の道筋も、あり得なかったのかもしれない。
話転じて、家庭での逸話。
鳥井信治郎は忙しく働いていつも帰宅は深夜。子供らと顔を合わすのは、日曜日の朝くらいであったという。ところが、ある日、珍しく早い時間に帰宅すると、子供部屋の方が何か賑やかな様子。覗いてみると、次男の敬三(佐治敬三・のちの2代目社長)と三男の道夫が、いたずら半分にビールを飲んでいるところだった。
「お前ら何をしとるんや」と父親に叱られて、生意気盛りの学生の敬三が反論した。
「酒を飲むことが、なんでそんなに悪いんや。お父さんは酒づくりやないか。酒を飲むことが悪いんなら、なぜそんな悪いものを造って売ってるんや」
ある種、正論めいた部分もある。普通ならちょっとことばにつまったり、社会における酒の効用などをあれこれ説明しようと試みるところかもしれない。しかし、鳥井信治郎は違った。ただ一言、即座に掲出のことばで一喝した。
「お前らに飲ます酒は造っとらん!」
明治気質のカミナリ親爺としては、この一言で十分だった。息子たちはグウの音も出なかった。
文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。