今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「自然は経済的に非常な濫費者であり、徳義上には恐るべく残酷な父母である」
--夏目漱石

夏目漱石が随筆『思い出す事など』の中に綴った一節である。

この一節の前に、漱石は、学者の例証したところとして、こんな話を紹介する。一匹のタラが毎年産む子どもの数は百万匹くらいだという。牡蠣では、二百万の倍数にのぼるといわれているらしい。そのうちで無事に成長するのは、わずか数匹に過ぎない。

ひとつの生命が成長していく陰で、一体とれほど多くの命が失われているのか。

このことを受けて、漱石は、自然界というものは、ある種、非常な濫費者であり、残酷な両親だというのである。

漱石は明治43年(1910)8月、転地療養に出かけた先の伊豆・修善寺で大量の吐血をし、瀕死の状態に陥った。なんとか命をとりとめて旅宿でひと月半ほど静養し、もともと入院していた東京の長与胃腸病院へと舞い戻った。そうして、やや落ち着いてから病室で筆をとり、朝日新聞紙上に連載をはじめたのが、随筆『思い出す事など』であった。

この間、長与胃腸病院の院長である長与称吉が病没し、漱石の友人の妻である大塚楠緒子までが逝去した。漱石は驚き、死んでいった知人たちを思って冥福を祈る。引き比べて、自分が生き残っていることを不思議に思いつつ、感謝の心持ちを抱く。一方でその目は自ずと大きな自然界へと転ぜられ、上記のように慨嘆せざるを得ないのである。

そうして、漱石の考えは、再び自分たち人間にかえってくる。

「人間の生死も人間を本意とするわれらからいえば大事件に相違ないが、しばらく立場をかえて、自己が自然になりすました気分で観察したら、ただ至当のなりゆきで、そこに喜びそこに悲しむ理屈は毫(ごう)も存在していないだろう」

人が生き、人が死ぬということは、一体なんなのだろう。漱石の目は、命というものを、じっと凝視している。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

 

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