文/鳥居美砂
中国の明時代に編集された『本草綱目(ほんぞうこうもく)』(1596年刊)に、「豆腐の法、淮南王(わいなんおう)劉安(りゅうあん)より始まる」の一節が出てきます。劉安は前漢の初代皇帝、劉邦の孫にあたるので、時代でいえば紀元前の話になります。ところが、その説を証明する資料が出てきません。
中国の文献に「豆腐」の文字が初めて出てくるのは、10世紀に記された書物『清異録(せいいろく)』です。ですから、現在では劉安が豆腐の始祖というのは、伝説として語り継がれていると考えられています。
では、日本にはいつごろ伝わったのでしょうか。
それは平安時代後期のこと。明からその製法が伝わり、当時の一大商業都市、奈良で豆腐作りが始まりました。京の都では室町時代になっても豆腐は作られておらず、奈良から豆腐売りが商いに来ていたといわれます。
豆腐は別のルートでも、日本に渡来しています。16世紀の終わり、朝鮮出兵の際に土佐の長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)が、朝鮮半島から豆腐職人を連れ帰ったと伝わっています。
そして、もうひとつのルートが琉球、ここ沖縄の地です。
14世紀頃、中国からの使徒、「冊封使」(「さくほうし」、あるいは「さっぽうし」ともいう)に同行した調理人が伝授したそうです。
沖縄の豆腐の特徴は、その大きさと硬さにあります。民俗学者の柳田国男は、<野武士の如き剛健なる豆腐>と表現しています。
重石をかけ、水分を抜いてしっかり押しかため、1丁の重さは約1キロ。とくに、野菜と一緒に炒めるチャンプルー料理には欠かせません。
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伝統的な作り方を守っている豆腐は「島豆腐」と呼ばれます。ひと晩水に浸けておいた生の大豆を絞って豆乳を取る「生絞り」製法で作られ、その後大きな地釜で煮ます。そこから「地釜豆腐」とも呼ばれています。
一般的な豆腐は、大豆を煮て搾ってから豆乳を取る「煮立て搾り」という製法で作られます。煮立てて搾った豆乳に、ニガリを加えて固めていく方法です。一方、島豆腐は「生搾り」という製法です。生のままの豆乳を大きな地釜(ハチメー鍋ともいう)で煮てからニガリを加えます。
那覇市内で約60年続く『島袋豆腐店』で、地釜豆腐作りの作業を見せてもらいました。
沖縄では、できた豆腐を水にさらすことはしません。冷蔵庫にも入れずに、出来たてがそのまま売られています。スーパーでも、地釜豆腐は通常の豆腐と売り場が分けられています。冷蔵ケースとは別に、常温の売り場が設けられ、熱々のものから売れていきます。出来たての「あち(熱)こーこー」が最上なのです。
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さて、次は“食べる編”です。上で紹介した『島袋豆腐店』には食堂が隣接しています。ご両親が島豆腐を作り、その息子さんの島袋清尊(せいしゅん)さんが食堂を営んでいるのです。
『島ちゃん食堂』は、地元の人でいつも混んでいる人気の食事処です。出来立ての島豆腐を使った料理が自慢です。大豆の風味がよく、弾力があって、口当たりがなめらか。硬いだけの豆腐ではありません。
沖縄のスーパーにも島豆腐は売られていますが、その全てが美味しいとは限りません。さらに、昔ながらの島豆腐作りは手間がかかるので、廃業する豆腐店も出てきています。手を抜かずに丁寧に作った島豆腐は、あきらかに味が違うのです。
そして、ぜひ味わっていただきたいのが「ゆし豆腐」。にがりを打って固まりかけた、それはやわらかな豆腐です。炒めても崩れない島豆腐とは真逆のふんわりとした食感で、食欲のない時でもすっと喉を通り、胃の腑にきちんと収まります。
お酒を飲みすぎた翌日の救世主でもあります。
『島ちゃん食堂』のゆし豆腐は塩、味噌、醤油の3種類の味から選べます。島豆腐を固めるためには、にがりのほかに塩も使います。塩味というのは、調味料を足さない、本来の味わいになります。
ゆし豆腐定食には、ポーク玉子(ポークランチョンミートと卵焼き)やとんかつなどの単品も追加できるので、部活帰りの学生や体力勝負の働き手といったボリュームが欲しい人が、銘々に注文しています。
美味しくて、良心的。地元に愛され続ける食堂です。
【島ちゃん食堂】
住所/沖縄県那覇市与儀2−3−12
電話/098-832-1233
営業時間/11:30〜18:00(土曜は〜17:00)
定休日/水曜、日曜、祝日、お盆、正月
文/鳥居美砂
ライター・消費生活アドバイザー。『サライ』記者として25年以上、取材にあたる。12年余りにわたって東京〜沖縄を往来する暮らしを続け、2015年末本拠地を沖縄・那覇に移す。沖縄に関する著書に『沖縄時間 美ら島暮らしは、でーじ上等』(PHP研究所)がある。