文・構成/鈴木隆祐
落語界きっての名人・古今亭志ん生は希代の「納豆好き」で、よく高座にかけた『唐茄子屋政談』という人情噺でも、主人公が売る品を納豆に変えてしまったほど。朝食には必ず納豆を出さないと機嫌が悪かったという。
若い頃は訳あって寄席に一時出られず、その間納豆の行商で生計を立てようとすらしたらしい。ところが「納豆ぉ~、納豆ぉ~」の引き売りの声が恥ずかしくて出せない。仕方なく、人のいないところばかり練り歩くが、さっぱり売れず、家族で売れ残りを朝昼晩と食べていたとか。
それではさすがに飽きてしまいそうなものだが、よほど好きだったと見え、最後の弟子の古今亭志ん駒が初めて師匠の家を訪れた際に、師匠の襟首にはご飯粒と納豆がくっついていて驚いた、などというエピソードも残っている。
さて、この納豆といえば、その「匂い」から嫌う人も多い。ことに関西ではそうだ。が、世界にはそんな悪臭が旨味とされる食品や料理が五万とある。
日本には他にもくさやに鮒鮓、スウェーデンにはニシンの塩漬けを発酵させたシュールストレミング、韓国にはエイの刺身を発酵させたホンオフェ、東南アジア全般の果実の王様ドリアン、等々。およそ発酵食品が多く、異様な匂いのぶん味わい自体が複雑だから、癖になる。発酵学者で名エッセイストの小泉武夫さんの著書の題ではないが、『くさいはうまい』のである。
また世の中には、悪臭で安らぎを得るという奇特な人物も実は多い。例えばゲーテと並んでドイツを代表する詩人フリードリヒ・フォン・シラーは、机の中に隠した持ったリンゴの腐臭を嗅いでは創作意欲をかき立てていたという。ベートーベンの『第九』で歌われる「歓喜の歌」の詩作も、そんな臭いの賜物なのだ。
フランス革命の申し子、ナポレオンも「ジョセフィーヌ、どうか体を洗わないでください。もうすぐ家に戻ります」と、遠く戦地から鼻の穴を膨らませて恋人を想ったほどの臭いフェチだった。こうなると、英雄色を好む、ではなく、英雄臭いを好む、とでも言っておこうか?
実際、匂い以外の感覚情報は、いったん脳の視床という中継基地を経由してから情報の吟味を経て、各々の感覚中枢へ運ばれる仕組みになっているが、匂いだけは香りの分子が鼻の臭粘膜から神経を通って、辺縁系という脳の深部にある嗅覚中枢に直接到達する。これは、太古の昔、動物が生き残るためにはまず匂いを頼りに、快・不快や安全・危険などについて即断せねばならなかったからだとされている。
しかも聴覚や触覚と同様、嗅覚は先天的に授かる原初機能であるため、野生動物に匹敵するほどの鋭さで、乳児は母親や母乳の臭いを嗅ぎ分けるという。一方で腐臭や体臭、キツい香水の匂いなどにも敏感で、それも生得的な防衛本能の成せる業なのだ。
さらに嗅覚中枢の近くに扁桃体という情動や感情に関わる中枢が配置されているために、人はコーヒーの香りを嗅いだだけで寛ぎ、パンが焼ける芳ばしい匂いに幸福な心持ちにさせられるのだ。女性がアロマテラピーで癒されるのも道理なわけで、要は頭を使っていなくても、鼻はずっと利いたままなのだ。
香水に代表されるように、よい香りは人工的に作れるが、やはり少々刺激的な匂いのほうが想像力を刺激しそうだ。あなたなりの“匂いの源”を常備して、ここぞというときに嗅いでみるのも、独自の発想を生むにはいい道具立てかもしれない。
文・構成/鈴木隆祐
監修/前刀禎明
【参考図書】
『とらわれない発想法 あなたの中に眠っているアイデアが目を覚ます』
(前刀禎明・著、鈴木隆祐・監修、本体1600円+税、日本実業出版社)
http://www.njg.co.jp/book/9784534054609/