今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。
【今日のことば】
「鑑賞は信仰である。己に足りて外に待つ事なきものである。はじめから落ちついている。愛である。惚れるのである」
--夏目漱石
夏目漱石による、大正5年(1916)の断片メモより。漱石はつづけて、こう綴っている。
「鑑定は研究である。どこまで行っても不満足である。諸所を尋ねてあるき、諸方へ持って廻ってついに落ちつかない。猜疑である。探偵であるから安心の際限がないのである」
すなわち、漱石はここで「鑑賞」と「鑑定」とを比較しながら、その裏にある人間心理を分析しているのだ。
美術品や骨董の世界には、鑑定はつきものだろう。真贋があり、経済社会の中に組み込まれた取引相場などもある。そういうことを身につけるには、相当の勉強と研究が必要で、猜疑心のようなものもつきまとう。そうしたところに逆に面白みもあるのだろうが、なかなか容易ではない。
そこへいくと、鑑賞は本来、己一個で「美しい」とか「好きだ」と感じて自足するもの。他者の評価や金銭的価値の多寡によって左右されない、落ち着きがある。少なくとも、純粋に芸術を愉しむ際は、そういう自分自身の価値観をもっと大切にしていっていいと、漱石は言っているのだろう。
漱石は随筆『思い出す事など』の中では「名前によって画を論ずるの譏(そし)り」という表現もし、こんなことさえ言っている。
「如何な大家の筆になったものでも、如何に時代を食ったものでも、自分の気に入らないものは一向顧みる義理を感じなかった」
文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。