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出港

文/青堀力(料理人、南極観測隊シェフ)

2016年11月27日、日曜日。余裕を持って家を出たはずだったが、改装中の福岡空港は従来より窓口が減っているためか人でごった返しており、家族でゆっくり最後の昼食を楽しむ余裕もなかった。

チェックインカウンターで荷物を預け、2階の出発保安検査場へ行くとすでに長蛇の列ができており、並ばなければ予定の飛行機に乗り遅れそうだ。1歳の息子はまだ授乳中でお腹がすいて泣いている。4歳になったばかりの娘は感のよい子で、しばらく会えないのを分かっているけど、必死に何かを我慢しているようだ。

家内に「頼んだぞ」と声をかけると、彼女の目からも涙があふれた。それを見た娘も我慢できずに大きな声で泣き出した。

4人円陣を組むように抱きしめ列に戻った。二人の子供を抱えて自分も泣きながら子をあやしている家内を見ていると、たまらなかった。ぎりぎりまで手を振り、「さー、やるしかない!」と自分に言い聞かせた。

*  *  *

振り返れば2007~2009年にかけて、私は第49次南極地域観測隊に調理担当として初参加した(そのときにピッツァを焼いた話は前にお伝えした)。当時、南極に対してずぶの素人だった私は、国内での調達業務を、経験者であるもう一人の調理担当チーフにほとんど頼っていた。

1年分の食材の種類、量など見当もつかなかった。また、洋食の経験しかない私は知らないことが多すぎた。餅をつくときのもち米の炊き方や赤飯の炊き方、中華やアジア料理の知識にも欠けていた。

越冬中、準備不足からやりたい料理ができないこともしばしばあった。連れて行ってもらったといったほうがいいくらいだ。越冬を終えるころ、「必ずもう一度勉強しなおして今度は自分の力で越冬を成功させたい」と思うようになった。

フリーマントル港のしらせ。

フリーマントル港のしらせ。

帰国した私はまず、和食を勉強した。知り合いの割烹料理屋に入れてもらい仕事を覚えた後、公邸料理人として在ラトビア日本大使館で実践した。休みの日にはフランスやイタリア、北欧を回り今まで覚えてきた洋食を確認するために食べ歩いた。

帰国して今度は大箱の料理長を経験した。グリーンプラザ白馬というスキー場のホテルだ。最高収容人数1,200名のリゾートホテル。食事形態もバイキングやコース料理、会席料理、修学旅行生に対する料理、レストランもホテルやスキー場内外に大小併せ5つあり、種類も和洋中エスニックと多様だった。すべてが手探り状態だったが5年でなんとか回せるようになった。

機は熟した! 家内に打ち明けたところ、結婚前からしきりに行きたがっていたのを知っていたので快くOKをもらった。妻には本当に頭が上がらない。そして、めでたく第58次南極地域観測隊の調理担当として合格した。

【次ページに続きます】

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