今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。
【今日のことば】
「自らを尊しと思わぬものは奴隷なり。自らをすてて神に走る者は神の奴隷なり」
--夏目漱石
夏目漱石が、明治38~39年(1905~1906)頃に書きつけた断片メモより。漱石はさらに、こうつづける。
「神の奴隷たるよりは死すること優れり。いわんや他の碌々たる人間の奴隷をや」
ここで漱石がいうのは、神職や宗教家といった特別の人たちでなく、ごく一般の生活者を対象としている。信仰心を持つのはいいが、盲信して自己を忘れ去り何もかも委ね切ってしまうようなことでは危うい。自分自身の意志や判断というものを、しっかりと堅持しなければいけない。漱石はそう説いているのだろう。
宗教を背景としたISによる自爆テロ事件が、各地で頻発している。古くは、オウム真理教による地下鉄サリン事件もあった。こうした事件も、「自らを捨てて神に走る」危険と悲惨を現出させているものと言えるのではないだろうか。
信仰心にさえ、そういう危険がつきまとうのだから、ましてや周囲にいる誰かの言いなりに生きるなんて問題外。「碌々」は、平凡でとりたてて役に立たないさま、小さい石が数多くある様子。
文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。