文/青堀力(調理師、南極観測隊シェフ)
南極での料理の成功の70%は、国内の調達業務にあるといっていい。いくら料理人としての腕が良くても、蕎麦粉がなければ蕎麦は打てないし、リンゴがなければアップルパイは作れない。いかに食材を漏れなく用意するかで、越冬中の食卓の華やかさが変わってくるのだ。
そして娯楽の少ない南極では、食事こそが隊員にとっての一番の楽しみとなる。美味しい料理を食べれば会話が生まれ、不思議と隊員同士の結束も強まる。だからこそ、どんな食事を提供できるかは、越冬隊の調理担当者に課せられた重要な任務なのだ。責任重大である。
* * *
私は2007~2009年の第49次南極地域観測隊に、調理担当として初めて参加した。隊員に合格し、緊張の面持ちで参加した冬訓練でのことだ。
乗鞍岳の麓でテントを張り、雪山での歩行訓練、地図とコンパスを使ったルート工作、ロープの使い方、けが人の搬送の仕方、雪山でのビバーク(緊急野営)等々、冬山での様々な訓練を受けた。九州育ちの私には身の丈ほど積もった雪を見るのも初めてで、全てが初体験。思えばそんな知識もなく、よく南極に行こうなどと考えたものだ。
まわりの方々に助けられ、何とかツェルトを張り、班毎に食事を取った。冷え切った体に暖かい食事は何よりのご馳走だった。自然と皆の顔は笑顔になり、南極話に花が咲いた。
娯楽の少ない南極では、食事に対する期待が並外れて高いことを知った。美味いものを食べれば自然と笑顔になり会話が生まれる。会話はチームの絆となり良い雰囲気に包まれる。敷いては隊の団結の源になると。
そこで、ある隊員から一言。「今年の調理の目玉は何?」一瞬、頭が真っ白になった。目玉? 他の隊員が助け舟を出してくれる。
「各隊員の出身地を調べて郷土料理を出したり、普段食べられない珍しい料理を出したり、歴代の調理隊員は色々考えているみたいだよ」
これは困った。訓練でいっぱいいっぱいになっている自分がそんな先の話考えているはずもなく、沈黙が続く。そんな私の様子を見て、自然と話題は他へ移っていった。が、私の頭の中は目玉商品で埋め尽くされ、それからの話はあまり耳に入ってこなかった。
南極でやるのだから野外が絶対いい。バーベキュー? いや、ありきたりだ。自分の得意料理は、イタリアンだから……そうだ、ピッツァだ!
料理修行をイタリアンからスタートした私は、とりわけピッツァ作りは得意にしていた。誰もが美味いと言ってくれたもちもちのナポリピッツァを窯で焼いたら、きっと喜ばれるのでは?
皆の話も終わりかけそろそろ寝ようかという頃だった。
「さっきの話ですが、皆で窯を作って外でピッツァなんかどうですかね?」
急に話し出したので、皆ぽかんとなる。
「マイナス20℃くらいのなかで、作れるの?」
そんなことはみじんも考えていなかった。できるのかな?
「いや、窯の中があったまればいけるんじゃない?」
「面白い!」
寝支度を始めようとしていた隊員達は、もう一度腰を下ろし、どうすればマイナス20℃くらいの昭和基地周辺でピッツァが焼けるのか真剣に話し始めた。これが南極観測隊のいいところ。それぞれの分野のスペシャリストが揃っているので、皆で考えて取り掛かれば、大概の事は実行可能なのである。
私が考えもしなかった障害が次々と出てくる。
「煙が出ると大気観測に障害が出るのでは?」
「少し風が吹いてて機器側が風下になってなければ、2時間くらいは大丈夫じゃないかな」
「窯の常設は許可がいるんじゃない?」
「ブリザードもあるしね、野外に立てっぱなしは危険だろうね」
「下に車輪付けて移動式にしたら?」
「平坦な場所なんかないから車輪じゃダメでしょ」
この話はその日だけに留まらず、3か月後の夏訓練では、今年の調理隊員はピザ窯を持っていくらしいとあちこちで噂になっていた。もう後戻りはできない。
その後、越冬隊長にも方々で骨を折っていただき、ピザ窯のGOサインをもらうことができた。ただし常設はNG。調理後は必ず屋内にしまうことが条件だったが、耐熱煉瓦で使用するごとに組み立てる簡易キットを持ち込むことで、この条件をクリアした。
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南極で越冬を始めて2か月程経った日曜日、いよいよ南極において初のピッツァ作りに挑むことにした。気温はマイナス15℃を下回り、うす曇りで少し風が吹いている。体感温度はマイナス20℃くらいに感じられる。
場所は、記念すべき第一次隊が使用したプレハブ小屋の目の前。現在は歴史的建造物として保管され、中は物置になっている。使い終わったレンガをすぐしまえるため、この場所となったのだ。
朝食を終えた隊員たちは、前日の打ち合わせ通り二つの班に分かれ、てきぱきと準備を進めた。一方の班は前日仕込んだピザ生地を丸く整形、タッパーに移し二次発酵させる。もう一方の班は耐熱煉瓦でピザ窯の組み立てに取り組む。
うす曇りの中始めた作業だが、いつしかちらほらと雪が舞い始める。耐熱煉瓦の窯は、ものの20分ほどで組みあがった。
早速火をくべる。通常、薪を熾きにして一定の温度を保つが、南極では周りの気温が低すぎるために、それでは庫内の温度が保てない。幸い、暴風圏の荒れ狂う波から緻密な観測機器を守るため、梱包した木材がたくさんあり、薪には困らなかった。そこで火が衰えぬよう、常に薪をくべながら、高い温度を保つことにした。
さあ、ここからはスピード勝負だ。あらかじめ屋内で待機している隊員に無線で合図を出す。ピザ生地のタッパーを持った隊員、ピザソースを持った隊員、チーズや具材を持った隊員が一列に小走りに扉から出てくる。素早く用意しておいた作業台に打ち粉用の小麦粉を巻き生地を伸ばす。ぐずぐずしていたら生地が凍るからだ。早く早く!
記念すべき第一枚目はマルゲリータ。生地はもちろんソース、バジルの葉も、持ち込んだ水耕栽培装置で作った“南極産”だ。モッツァレラチーズをちぎり入れ、パルメザンチーズを振りかけたら、さっとピザピールで窯の中へ投入。学者も医者も機械や通信の技術者も、そして私たち調理隊員も皆、緊張の面持ちで窯の中を覗き込む。
2~3度窯の中で回転させ、均一に焼き色のついたところで取り出すと、一斉に歓声が上がった。どこから見ても完璧な一枚。板に乗せ包丁を入れると、ザクッザクッと美味しい音が響き渡る。
越冬開始から2か月も経つと、遠慮する隊員など一人もいない。我先にと切ったピザに手を伸ばす。伸び放題の髭にチーズをつけながらほおばり、皆、無言。皆、笑顔。その瞬間、私は何とも言えない最高の気分を味わうことができた。
その日は、かわるがわるに皆でピザを焼き、ビールが凍らないようピザ窯の上で保温しながら、極夜を前にした短い太陽を楽しんだ。
以降このピザ窯は、われらが49次隊の恒例行事となった。極夜中の真っ暗中でのピザ作りは薪の明かりが幻想的で一際思い出に残っている。
あれから10年近く経つが、各隊で大事に引き継がれ、日本隊の名物になっていると聞く。
文・写真提供/青堀 力
イタリア料理、フランス料理店で修業後、
※今年2017年は日本の南極観測60周年にあたります。
国立極地研究所公式サイト: http://www.nipr.ac.jp/