文/青堀力(料理人、南極観測隊シェフ)
外洋に出ると、すぐに揺れだした。今回乗っている二代目「しらせ」は、前回越冬時に乗った先代「しらせ」より格段に揺れないと評判だが、全く揺れないわけはない。南極に行くには、暴風圏という荒波を越えていかねばならない。吠える40度、狂う50度、絶叫する60度と言われ、南緯が上がるにつれ(=南極に近づくにつれ)波は高くなっていく。
次第に食事をとれなくなるほど酔う隊員も出てきた。私は船酔いには強いほうだが、乗船して2~3日はとにかく眠たかった。眠くなるというのも船酔いの一種らしく、食事はいつも通りに食べていたが、船には酔っているようだった。
こんな時、大活躍したのが、地元福岡・太宰府天満宮の梅干しだった。高校の後輩が天満宮に仕えているのがきっかけで、宮司様より頂いたものだ。境内に植えられている約200種6000本の梅の木になる実を、職員総出で手摘み・天日干し、手もみした紫蘇と一緒に付け込んだ、昔ながらの口角の広がる酸っぱい梅干しは、食べるとすっきりとなり、隊員にも大好評だった。これはこの58次隊最初の“南極の味”として、隊員たちの頭に刷り込まれたようだ。
砕氷船「しらせ」は海上自衛隊に所属する船で、船内では海上自衛隊式の生活となる。
船内放送も独特の数の数え方で読み上げられる。例えば「本日マル・ハチ・マル・マルよりフタ・フタ・サン・マル 艦上体育」というのは、「今日は8時~22時半まで甲板で運動してもいいですよ」という事。最初は聞き取りにくかったが、次第に慣れてくると、この言い回しが観測隊内でも流行りだす。「ヒト・ヒト・フタ・マルに公室集合」や「フタ・ヒト・マル・マルに ヒト・マル・ゴ号室で飲み会」などなど。
2016年12月5日、フタ・フタ・マル・マル頃、突如オーロラ現る。往路では珍しく、オーロラを見ることができた。夕食後、各自室でゆっくり、皆そろそろ寝ようかとしていた時、上空にオーロラ!との艦内放送があり、隊員たちはカメラ片手に艦橋へぞろぞろ。目が暗闇に慣れてくると、たなびくオーロラがはっきりと見てとれた。
12月8日、初めて氷山を視認。360度水平線だった海にぷかぷかと浮かぶ氷山が見れたかと思うと、クジラまで出現!なんだかこの隊はついているようだ。
艦内生活で狂いがちな曜日感覚は、食事で補う。例えば「金曜日昼はカレー」「9のつく日はステーキ」というのは昭和基地で越冬中も同じで、金曜日昼はカレー、週の真ん中の水曜日昼は麺類等、自衛隊方式を採用しているのである。
昼に魚が出ると夜は肉、主菜があって副菜が常時3~4種用意される。乗船中、同じメニューが出ることはなく、これを観測隊、海上自衛隊併せて300名近く毎度用意しているのだから、「しらせ」の調理スタッフの仕事たるや凄いの一言。料理の温度にもこだわりが感じられ、昭和基地で提供していくにあたってとても勉強になった。
出発前、一か月ほど続いた各種壮行会ですっかり運動不足となった私は、船に乗ったら絶対に「走ろう」と決めていた。暴風圏で揺れる甲板を走るのは、最初は恐怖感があったが、慣れるとトレイルランをしているような楽しさがあった。
奇数日は時計回り、偶数日は反時計回りに甲板を走る。進行方向が波で下がっていると、坂道を駆け下るような感じ。上がっていると登り坂。波の谷間にかかると、足にグググッと重さが加わる。逆に波の頂上付近はふわっと体が浮いたような、なんとも不思議な感覚。これがカーブ時に訪れると、体が横に振れて倒れそうになる。こうして自然と体幹が鍛えられるのだ。
暴風圏をものともしない「しらせ」は、時に波にのまれそうになりつつも、ざっぱーんと高い潮吹雪を上げながらぐいぐい進む。何度かこの潮吹雪を浴びた。艦首が下がり、一瞬シーンとなると、次の瞬間、目の前が真っ白になり、全身ずぶ濡れに……まるで滝のようだ。
冷えた体は、海水風呂で温める。乗船中は、毎日風呂に入れる。シャワーからは真水が出るが、湯船に張られているのは海水。傷口には少々しみるが、温泉に入っているようで体がよくあったまる。
12月14日、乗船して10日ちょっとでいよいよ氷海域に入った。見渡す限り、一面、氷で覆いつくされている。揺れの少なくなったところでヘリコプターにブレード(翼)がつけられ、まず野外観測チームを各観測地へ運ぶことになった。
12月17日、58次隊初のヘリコプターオペレーション、略して“ヘリオペ”が開始され、3チームが日帰りで野外へ出かけた。
この日は、「しらせ」側の計らいで甲板に露天風呂が設置された。氷をかき分けながら進む「しらせ」の目の前を、巨大な氷山が流れていく。気温は0度ながら、蒸気で温められた風呂のおかげで寒さは全く感じない。20時過ぎだというのに、煌々と照る太陽のおかげでゆっくりとした時間が流れていく。
見渡す限り氷に埋め尽くされた風景を見ながら、いつまででも入っていられる、そんな最高の露天風呂だった。
12月23日、ついに昭和基地に飛び立つ日がやってた。私は第一便での“昭和入り”が決まった。
朝食を食べると、あらかじめ用意しておいた荷物を持って艦橋へ向かった。乗船したときに黒字にした名前札を裏返し、赤字にして不在を示す。「しらせ」乗員の方々から「気をつけて!」と声をかけられ、身の引き締まる思いがする。
ヘリ甲板では、荷物を含めた体重チェックを受ける。荷物を含めて100kgが上限で、そのほかにダンボール一箱が夏期間中、昭和基地に持ち込める荷物となる。
そして隊長を先頭にヘリに乗り込む。ほとんどすべての観測隊、「しらせ」乗員が見送る中、機体はふわっと浮き上がり飛び立った。いよいよ二度目の南極生活が始まる。(南極紀行3に続く)
文・写真提供/青堀 力
イタリア料理、フランス料理店で修業後、
※今年2017年は日本の南極観測60周年にあたります。
国立極地研究所公式サイト: http://www.nipr.ac.jp/