文・写真/杉﨑行恭(フォトライター)
福島駅から仙台方面行きの電車に乗った。発車するとすぐに飯坂電車(福島交通飯坂線)と交差し、その先で三セク鉄道の阿武隈急行が分岐する。するとこんどは入れ替わるように、東北新幹線の高架橋が近づいてくる。まさに福島盆地(信達平野)は“鉄道のクロスロード”だと思わせる風景だ。
そして10分もしないうちに、電車は『伊達駅』に到着する。
しかし『伊達駅』とはいい駅名だ。あの仙台藩主・伊達政宗に由来するという、男らしい粋な姿を意味する名の駅は、まさしく“伊達”な駅だった。
駅前から駅舎をあらためて見る。どっしりとした入母屋に格子模様を配したファサードと車寄せに大小二つの三角が並び、白壁に黒柱のコントラストが凛とした武家屋敷の雰囲気を出している。
細かく観察すると外壁の腰壁には玉石を積み上げ、窓と明り取り窓の間に小型のもこし屋根を巡らせて腰高な建物を引き締めている。まさに隙のない端正なデザインだ。
玉石は飯坂温泉を流れる摺上川から採ったもので、タイルの床や曲線を持つ格子天井も温泉浴場を模したものとされている。
この駅舎は1939年(昭和14)に改築された二代目で、外観は駅の東方約25㎞にある霊山神社に由来するという。実際に霊山神社を見るとそれほど似ているとは思えないが、伊達駅とほぼ同時期の昭和15年に社殿が造営されている。
ともあれ戦前の一時期、社会が“日本”気分に満ちた頃の駅舎だったのだろう。ちなみに当時は伊達駅前から路面軌道(福島交通軌道線)が霊山神社へバスが出ていた掛田駅までを結んでいた。
さて、鉄道唱歌の奥州磐城編には「長岡おりて飯坂の 湯治にはまる人もあり 越河こして白石は はや陸前の国と聞く」の一節がある。ここにある長岡が伊達駅のことで、駅が開設されたころは長岡村だったことに由来する。
ところが新潟県の長岡駅と混同することから、1914年(大正3)に伊達と改称されたのだ。
ちなみに鉄道には、先に同名駅がある場合は国名を冠する慣習があり、新潟県の長岡駅は明治31年開業なので福島の長岡駅が3年早い。本来は『越後長岡』になるはずも、著名な城下町の長岡市と福島盆地の長岡村では対抗しがたく、名前を譲ったようだ。
ともあれ鉄道唱歌にもあるように伊達駅(長岡駅)からは名湯、飯坂温泉にも軌道線(1971年に廃止)が伸びていた。まさにこの駅は霊山神社と飯坂温泉への観光駅だったのだ。
昭和14年当時で2万円を超す費用をかけて改築された伊達駅舎だが、繁栄していた時代は過ぎ去り、今では2面2線ホームだけの中間駅になっている。
駅は委託化され、駅舎の半分は地元物産を販売するスペースになっていた。駅前には東北新幹線の高架線が横切り、その先には福島市郊外の静かな街並みが続いている。あの甲子園大会の常連校、聖光学院高校は駅から300mほどのところにある。
【伊達駅 (JR東日本 東北本線)】
■ホーム:2面2線
■所在地:福島県伊達市細谷
■駅開業年月日:1895年(明治28)長岡駅として開業(1914年伊達に改称)
■現役舎建築年:1939年(昭和14)
■アクセス:福島駅から東北本線で約9分
文・写真/杉﨑行恭
乗り物ジャンルのフォトライターとして時刻表や旅行雑誌を中心に活動。『百駅停車』(新潮社)『絶滅危惧駅舎』(二見書房)『異形のステーション』(交通新聞社)など駅関連の著作多数。